幽霊について調べてみた
夏ですね。
日本では、夏は死者の魂が帰ってくる季節であると古くから考えられており、それに因んで怪談話をします。
今回は怪談話で度々主役を張る幽霊について調べてみました。
幽霊と概要
1 死者のたましい。亡魂。
2 死後さまよっている霊魂。恨みや未練を訴えるために、この世に姿を現すとされるもの。亡霊。また、ばけもの。おばけ。
西洋でも、人間の肉体が死んでも魂が死なずに現世でうろついたり、家宝を守ったり、現世への未練から現世にとどまったりする話は多くあり、霊が他人や動物にのりうつることもあるといわれます。
このように、洋の東西を問わず世界に広く類似の記載はあり、中世ヨーロッパにも中国にも、また、陸域のみならず世界の水域にもいるとする記述があります。
この記事では主に日本の幽霊を取り扱います。
幽霊と性質
幽霊は何かを告知したり要求するために出現するとされていました。
しかし、次第に怨恨にもとづく復讐や執着のために出現していると考えられるようになり、「幽霊は凄惨なもの」という印象が強められていきました。
また、「いくさ死には化けて出ない」との言い伝えもありますが、凄惨な最期の姿を留めて出没する戦死者の亡霊の話は多く、平家武者の亡霊の存在は様々な文献で見受けられます。
幽霊と船幽霊
日本は島国であるためなのか、船幽霊など、海の幽霊の話も多いです。
例えば、幽霊船が現れて、幽霊が「柄杓を貸してくれ」というが、それを渡すとその柄杓で水を汲んで水(水してゆく船)にされてしまうといい、幽霊には柄杓の底を抜いてから渡さなければならない、とするものがあります。
紀伊国(現・和歌山県)に伝わる話では、幽霊船が出たら、かまわずぶつかってゆけば消えてしまうとされる。
幽霊と成仏
幽霊の多くは、非業の死を遂げたり、この世のことがらに思いを残したまま死んだ者の霊であるのだから、その望みや思いを真摯に聴いてやり、執着を解消して安心させてやれば、姿を消すといいます。
仏教的見地でこういった状態になった幽霊を「成仏した」と称するのですが、日本の幽霊は仏教の伝来以前から“居た”のであり、そもそもは古神道ないし神道の影響下にあるので、成仏ではなく鎮魂とするのが正しいです。
幽霊と歴史
昔話には「子育て幽霊」や「幽霊女房」、「幽霊松」などの話が多数見受けられます。
古代においては日本書紀には既に幽霊とみられる存在の記述がありました。
平安時代末期の古今物語集などの古典文学には、幽霊や妖怪が登場する怪談が多数収録されています。
室町時代以降になると、幽霊は歌謡や歌舞伎のテーマとしても扱われるようになりました。
江戸時代には幽霊や怪異などを扱う怪談噺が大流行しました。
幽霊と7月26日
1825年7月26日に江戸の芝居小屋「中村座」で東海道四谷怪談が初公演されたことに因んで、7月26日は「幽霊の日」となっています。
幽霊と姿形
日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていました。
しかし、江戸時代になると納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の額烏帽子をつけ、白装束を纏ってるとされることが多くなりました。
幽霊と足
元禄年間(1688-1704年間)に刊行されたお伽はなしでは、幽霊はみな二本足があることになっていました。
しかし、享保17年(1732年)刊行の太平百物語では、幽霊の腰から下が細く描かれており、次第に下半身を朦朧とした姿で描くようになっていきました。
さらに時代を経ると肘を曲げつつ手先を力なく垂れる姿で描くようになってゆきました。
以上から江戸時代前期から中期の間に今日定型化されている日本の幽霊の造形(ステレオタイプ)が形成されていったと考えられます。
幽霊と仏教
初期仏教において、ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定したとされます。故に仏教的見解では幽霊は否定されます。
しかし、各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%でした。
最後に
科学が発展していない頃にも様々な自然現象は起こっていたでしょう。しかし、それらを説明する理論はありません。でも、人々は説明を求めます。理由も求めます。
そのような状況下で登場するのが、「幽霊」です。
説明し難い現象を、全て超常の存在である幽霊のせいにすれば一応の納得は出来ますし、それ以上詮索されずに済みます。
幽霊は存在するのかという議論がしばしば起こります。私は、人の臆病な心がある限り、幽霊は存在し続けると思います。