林檎とフクロウ

故きを温ねて新しきを知る――哲学や宗教学などの人文科学を読み解き、生きる道を見出すことを目的としたブログです。

インドにおける仏教の再興について調べてみた

先日”インドにおける仏教の衰退”について記事にしました。その最後に、ビームラーオ・アンベードカル氏が約50万人のダリットと共に仏教に改宗したお話をしました。

仏教発生の地で仏教が再興することは大変喜ばしいことです。

しかし、この再興が議論を呼んでいます。

どのようなものなのでしょうか。

 

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仏教衰退

仏教は、始まった紀元前5世紀前後から着実に成長し、紀元前3世紀のアショーカ王治下のマウリヤ朝国家宗教として承認される時まで、安定した成長を見せてきました。

しかし、後のグプタ朝とパーラ朝の時代のインドにおいて、仏教は着実に衰退していき、19世紀の末までに事実上絶滅しました。

 

仏教再興の始まり

インド独立後の1956年10月14日、カースト制度に苦しんでいたダリットの指導者ビームラーオ・アンベードカル氏三宝・五戒を授けられ、彼を先頭に約50万人のダリットが仏教に改宗したことで、仏教がインドにおいて一定の社会的勢力として復活しました。

アンベードカルが改宗したインド西部のマハーラーシュトラ州ナーグプールのディークシャーブーミには現在、これを記念する仏塔が建立されています。

ちなみにアンベードカル自身は改宗のわずか2か月後に仏教に関する著書『ブッダとそのダンマ』を遺し急逝しました。

 

仏教再興と合理主義的教義

ダリットを基盤として復活したインドの仏教はアンベードカルの独自のパーリ仏典研究の結果としてブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得たとする仏教理解に立脚しています。

仏教の基本教理とされる輪廻による因果応報をカースト差別との関連から拒否するなど、その合理主義的な教義から、ダリットらの人権・解放運動、社会運動の一環に過ぎないとの指摘もありました。

 

仏教再興と独自の解釈

アンベードカルらは上記のように、多くの点で独自の仏教解釈をしています。

特筆すべきは、彼らが釈迦を単なる宗教的指導者ではなく、政治的かつ社会的改革者として強調している点です。

 

仏教再興とヒンドゥー教からの反発

約50万人のダリットの改宗に対して、ブッダヴィシュヌ神の化身と位置づけるヒンドゥー教徒カースト制度の恩恵を受ける上位カーストから偏見や反発が生じました。

また。イスラーム教徒の弾圧でインドから仏教が消滅したため置き去りにされていた仏教の聖地や寺院の多くは、現在はヴィシュヌ神を祭る場としてヒンドゥー教徒が管理していました。仏教徒はこれら聖地の返還を求めており、現在も政治問題となっています。

 

仏教再興とアンベードカルの22の誓

叙任式の後、アンベードガルは支持者らに法の伝授を行いました。この式典には三宝五戒に続いて、全ての新しい改宗者に与えられた22の誓いが含まれました。

  1. 私はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの信仰を持たず、それらを崇めない。
  2. 私は神の化身と信じられているラーマやクリシュナの信仰を持たず、それらを崇めない。
  3. 私はガウリー、ガネーシャその他ヒンドゥーの神々や女神の信仰を持たず、それらを崇めない。
  4. 私は神の化身を信じない。
  5. 私はブッダがヴィシュヌの化身だと信じない。私はこれを狂気の沙汰であり、偽りのプロパガンダであると信じる。
  6. 私はシュラッダー(ヒンドゥー教の先祖供養)を行わない。ピンダ(供え物の団子[5])を捧げることもしない。
  7. 私は仏陀の(教えた)正しい道と教えにもとる行いをしない。
  8. 私はバラモンが執り行うどんな祭典も許可しない。
  9. 私は人の平等さを信じる。
  10. 私は平等を確立するために励む。
  11. 私は仏陀の八正道を受け入れる。
  12. 私は仏陀が説いたように十波羅蜜を実践する。
  13. 私は全ての生き物を慈しみ、かれらを保護し、大事にする。
  14. 私は盗みをしない。
  15. 私は嘘をつかない。
  16. 私は不倫をしない。
  17. 私は(酒や麻薬のような)酩酊させるものを摂取しない。
  18. 私はブッダの法である智慧と道徳と優しさという3つの原則と協調させて、日常生活を過ごす。
  19. 私はヒンドゥー教を捨てる。それは不平等を基礎とするが故に人類にとって有害であり、人類の進歩と前進を妨げる。そして私は仏教を自己の宗教として採択する。
  20. 私はブッダの法(ダルマ)こそが唯一つの真の宗教であると固く信じる。
  21. 私は「新しい生まれ 」を獲得したと信じる。
  22. 私は今後、我が人生をブッダとダルマの原理と教えに依って導いていくことを固くかつ厳粛に宣言する。

今日では多くのアンベードカル系団体がこの22の誓いのために働いており、これらの誓いのみが現在の仏教の存続と急速な成長を招きうると信じています。

 

仏教再興と新仏教

1956年に復活したことから、インド仏教を新仏教とする学者も居ます。しかし、復興運動の中心人物一人である佐々井秀嶺は「アーンベードカル博士以前の仏教と私達を意図的に区別し“元不可触民”のレッテルを貼るもの」「同じ人間同士に、新も旧もありません」として間違っていると主張します。

 

仏教再興とゲイル・オムヴェットの疑問

アメリカ合衆国出身でインドに帰化した社会学ゲイル・オムヴェット氏は以下のように述べました。

アンベードカルの仏教は見た限りでは、信仰によって受け入れられた仏教、すなわち帰依を行い、聖典を受け入れた人たちのものとは異なっている。このことは、その基礎からして大変明らかである。アンベードカルの仏教は、テーラワーダ上座部)であれ、マハーヤーナ(大乗)であれ、ヴァジュラヤーナ(密教)であれ、これらの聖典を体系的には受け入れていない。そこで次のような疑問が明らかに生じてくる。「四番目の乗り物であるナヴァヤーナ(新しい乗り物)、〔すなわち〕ある種の近代文明的に解釈されたダンマは、本当に仏教という枠組みのなかに含めることが可能なのだろうか?

 

出典:Omvedt, Gail. Buddhism in India : Challenging Brahmanism and Caste, 3rd ed. London/New Delhi/Thousand Oaks: Sage, 2003. 

また、宗教学者で教授のサリー・キングらは、『ブッダとそのダンマ』におけるアンベードカルの仏教には、宗教的な近代主義のすべての要素が見られ、同書は伝統的な戒律と実践を捨て去り、社会参画仏教がそうであるように、科学、積極的行動主義、社会的変革を導入していると述べます。

 

最後に

いかがだったでしょうか?

確かに見かけ上はアンベードカル氏らによって仏教は復活を果たしました。しかし、その仏教を既存の仏教の延長線上にあると捉えるか、はたまた新宗教として扱うかは宗教学者らの間でも議論になっているようです。

確かに、独自の仏教解釈により多くの仏教の特徴を否定しています。社会的変革も導入しているでしょう。しかし当人らが新宗教・新仏教と扱われることを否定するのであれば、新しい宗派と解釈するのが妥当だと私は思います。

ともあれ、今後の動向に注目です。