禅宗について調べてみた
皆さんは座禅をしますか?私はします。
その座禅は、実は立派な禅宗の修行なのです。
アスリートも行う禅を基本の修行形態とする禅宗について今回は見ていきたいと思います。
禅宗と概要
禅宗は南インド出身で中国に渡った達磨僧を祖とする大乗仏教の一派です。
日本に純粋な禅宗が伝えられたのは、鎌倉時代の初め頃であり、室町時代に幕府の庇護の下で日本仏教の一つとして発展しました。
禅宗と禅那
禅は、サンスクリットの dhyānaの音写、あるいは音写である禅那の略でとされています。禅定とも言います。
禅那とは、仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指します。
ゴータマ・シッダッタ(釈迦)も禅定によって悟りを開いたとされ、部派仏教においては三学の戒・定・慧の一つとして、また、大乗仏教においては六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきました。
禅宗と不立文字
不立文字とは、文字・言葉の上には真実の仏法がないということ。つまり、仏祖の言葉は解釈によって、いかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意です。
そのため禅宗では中心的経典を立てていません。
禅宗と教外別伝
禅宗は不立文字の考えから、教外別伝を原則とします。
教外別伝とは文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であること。
禅宗と教義
全ての人が例外なく自分自身の内面に本来備えている仏性を再発見するために、坐禅という修行を継続する中で、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指します。
そうして得た悟りから連想される智慧を以て、生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至り、その後に一切の衆生を導くことを目的とします。
禅宗と四種類の座禅
栄西は『興禅護国論』で『楞伽経』を引いて坐禅は四種類あると説いています。
愚夫所行禅
凡夫・外道が、単に心をカラにして分別を生じないのを禅定だと思っている境地。
外道とは仏教以外の宗教者のことです。
観察相義禅
小乗・三賢の菩薩が、教わった仏法を観察し思惟する境地。
攀縁如実禅
大乗の菩薩が、中道を覚って三業を忘れ、有るでもなし空でもなしと達観する境地。
三業とは身体に関わる行為、言語に関わる行為、意志に関わる行為のこと。
如来清浄禅
如来と同じ境地に入り、みずから覚って聖なる智慧が現れたすがた。
禅宗と方便
方便とは仏教において、衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教えを意味する仏教用語です。
只管打坐
ただひたすらに坐禅を実践せよの意味。ひたすらとは禅定の深さを表現した言葉です。
この手法によって初心者でも、より深い禅定の境地を、容易に体験可能であるとされています。
公案禅
曹洞禅はさておくとして、臨済禅ではいわゆる「公案」といわれる問題を師家(しけ)から与えられ、それに取り組むことによって「見性成仏」(けんしょうじょうぶつ)の実を挙げることを目指している。公案とはすなわち、歴代の祖師方がそれによって大悟された「機縁」である。
師家の室内に参禅して、知解分別(ちげふんべつ)では到底答えることのできぬ公案の解答(これを「見解」〔けんげ〕という)を呈示して、師家と問答することが、俗に「禅問答」と呼ばれるものである。
とはいえ、頭でいくら考えても一向に出る答えではないので、参禅者にとっては参禅の時間はつらいものとなる。
公案工夫のあるべき姿に関しては、無門慧開禅師が『無門関』の中の「無字」の評唱で、ご自分の体験に基づいて親切の限りを尽くして述べておられるので、詳しくはそれを参照されたい。要するに、肝心なことは、公案を頭であれこれ考えることではなくて、公案そのものに成り切ってしまうべく、全身全霊を挙げて、しかも間断無く工夫することである。無字の公案ならば、坐禅の時だけではなく四六時中・行住坐臥を通じて「無、無、無」と成り切る工夫をして行くのである。
内観
禅の修行が厳しく、師家のほうでも敢えて禅人を苦しめるのは、富貴で安穏であれば仏道を求めることが困難だからである。釈迦が王位に就いて姫と歓楽に耽り、国中の財産を集めた贅沢三昧の生活を、自ら捨てて出家して六年間の苦行をしたのも、このような理由であるとされる。
不意に病にかかり、気を失って死んだ方がましだと思うような病苦の中にあるときこそ必死に坐禅すれば、またとない大悟の機会となる。たとえ大悟を得られなくとも、その時の苦しみを思い返せば多少の生活の苦しみは取るに足りなくなる。また、無始無終の生死の迷いを打破し、如来の悟りに徹底するような、めでたい事は少しばかりの艱難辛苦なしには、得られるものではないという覚悟が、必要であるとされる。
とはいえ参禅が限度を超えて神経衰弱の苦しみにある修行者を見かねた白隠禅師が、その治療方法としての内観の秘法を伝授した。神経衰弱から来る禅病を直すための心身の休養方法であり、心身がもとより空虚なものであることを体験するために、24時間の睡眠と禅宗的なイメージトレーニングと数息観と丹田呼吸を行う。
禅宗と霊魂
禅宗では肉体と精神とは同一のものと考え、区別をしません。
これは、霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされているからです。
禅宗と科学
東邦大学医学部生理学教授の有田秀穂先生は、坐禅によってセロトニン神経が活性化され鍛えられることや、通常とは異なる独特なアルファ波が発生することが、精神的安定や心身の健康の一因であると指摘しています。
最後に
いかがだったでしょうか?
兎に角座禅、只管座禅という考えはとてもシンプルでありますが、それ故に奥深く、困難な修行と言えるでしょう。
とは言え、座禅は非常に手軽です。もし心が乱れたら、座禅を組んでみるのも良いでしょう。