キリスト教における地獄について調べてみた
連日、仏教、イスラム教の地獄を見てきました。
となると、仲間外れには出来ないのがキリスト教における地獄です。
キリスト教においても、旧約聖書や新約聖書で地獄に関する内容が数十箇所書かれており、天国と対の存在として重要視されています。
見ていきましょう。
- キリスト教における地獄と概要
- キリスト教における2つの語彙
- キリスト教における地獄とカトリック教会
- キリスト教における地獄とプロテスタント(改革派教会)
- キリスト教における地獄と東方教会
- 霊魂消滅説・絶滅説
- 万人救済説
- 最後に
キリスト教における地獄と概要
キリスト教での地獄は一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされます。
また東方正教会では、地獄を霊魂の死後の状態に限定せず、愛する事が出来ない苦悩・神の光に浴する事が出来ない苦悩という霊魂の状態も指します。
キリスト教における2つの語彙
ギリシャ語の聖書の中には、「地獄」と訳されることがある語彙は、「ゲヘンナ」(γεεννα)と「ハデース」(ᾍδης)の2種類があります。
キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なり、ゲヘンナとハデースの間には厳然とした区別があるとする見解がある一方、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解もあり、両概念については様々な捉え方があります。
ゲヘンナ(γεεννα)
ゲヘンナは原語では「ヒンノムの谷」の意。
この谷ではアハズ王の時代にモロク神に捧げる火祭に際して幼児犠牲が行われたこと、ヨシヤ王の改革で谷が汚されたことがあり、町の汚物の捨て場とされました。
このような経緯から、新約聖書ではゲヘンナは「来世の刑罰の場所」として考えられるようになりました。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所であるとされます。
ハデース(ᾍδης)
ハデースはギリシャ語の「姿なく、おそろしい」の意から派生したもの。
ヘブライ語のシェオル(黄泉)に当たります。
古代の神話では死者の影が住む地下の王国とされました。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ハデースは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとします。
キリスト教における地獄とカトリック教会
地獄の存在
カトリック教会の公式な見解を記した”カトリック教会のカテキズム”には以下の文言が明記されています。
痛悔もせず、神の慈愛を受け入れもせず、大罪を犯したまま死ぬことは、わたしたち自身の自由意志による選択によって永遠に神から離れることを意味します。自ら神と至福者たちとの交わりから決定的に離れ去ったこの状態のことを『地獄』と表現する。
このように、永遠の地獄の存在と、神との決別の状態が永遠に続くことが地獄の苦しみの中心であると教えます。
また、『マタイ福音書』25章41節に、イエス・キリストが「永遠の火に入れ。」と言う場面が書かれていることを引用して、「永遠の火」という表現をしています。
教皇の見解
カトリック教皇のヨハネ・パウロ2世は、過去に、「地獄の問題はオリゲネスから始まって、常に思想家達を悩ませてきた」としながら、教会の長として教理上は地獄の存在を肯定せざるを得ないものの、「そこに誰が入っているかは誰一人として分からず、果たしてキリストを裏切ったユダがそこにいるかどうかさえわからない。」と述べたことがります。
地獄に堕ちる対象
誰が地獄に落ちるかについては、”カトリック教会のカテキズム”では以下の通りとされています。
「神は、誰一人地獄に予定してはいない。自分の意思で神から離れる態度を持ち続け、死ぬまで変えない人のみが地獄に落ちる。」
「教会は『一人も滅びないで皆が悔い改める』(ペトロの手紙二 3章9節より引用)ことを望む神のあわれみを祈願する。」
その一方で「わたしたちは自由意志を以って神を愛することを選ばない限り、神に結ばれることはできません。しかし、神に対し、隣人に対し、あるいは自分に対して大罪を犯すならば、神を愛することはできません。」と警鐘を鳴らしています。
キリスト教における地獄とプロテスタント(改革派教会)
改革派信仰の長老派教会では、永遠の地獄を強く主張し、伝統的に永遠の地獄の存在を認めてきました。
教理基準であるウェストミンスター信仰告白32章では、悪人の霊魂は死後、大いなる日のさばきまで、苦悩と徹底的暗黒のうちにありつづけるとされます。
また、イエス・キリストが再臨したとき、不信者は神に裁かれるために復活し、永遠の滅びを宣告されます。これにより、不信者はよみがえった体で、意識をもったまま、永遠に苦しみます。
キリスト教における地獄と東方教会
地獄の存在
正教会において、自分自身を省みない人々、悪人・罪人が行くところとして、地獄があるとされています。
ただし、正教会において地獄とは、「自ら神を拒絶する状態」であり、神が人間を虐待する場所のようには捉えません。
地獄は誰がために
また、地獄は”他人のために用意されたものではなく、自分のために用意されたものである”とされています。
従って、まず自分が正教徒として痛悔をし、福音の言葉に畏れを以て接し、地獄の永遠の勝利者としてのハキリストのもとにひれ伏し、正教徒としての生活を取り戻すように、また全ての人の復活のために祈るように教えます。
地獄は永遠か
地獄は永遠であるのかという問題について、ロシア正教会の府主教イラリオン・アルフェエフは、「ゲエンナの世界は終わりを迎え、地獄は駆逐されるが、その終末がいつであるかは人の知恵では知りえない機密のうちに隠されている」と述べました。
霊魂消滅説・絶滅説
罪人が絶滅、消滅するとし、地獄、火の池での永遠の刑罰を否定する教理を霊魂消滅説(絶滅説)と呼ばれます。
これは、永遠のいのちを与えられていない人間の魂は、不滅性を持っていないという考えによるものです。
絶滅説は最終的に神が邪悪な人々を絶滅・消滅させ、義人だけに不滅性が与えられると断言します。
消滅論者は、邪悪な人々は彼らの罪のため、消滅する前に火の池で罰せられると信じます。
キリスト教弁証家のアルノビウスが4世紀にこの説を説いたが、一般には受け入れられず、第5ラテラノ総会議(1513年)にて異端とされました。
しかし19世紀になって、霊魂不滅を信じる一般的風潮にもかかわらず一部の神学者の間でこの説は受け入れられました。
現在霊魂消滅説をとる主な宗派はキリスト教系の新宗教諸派のセブンスデー・アドベンチスト教会、エホバの証人、キリスト・アデルフィアン派だけです。
万人救済説
永遠の地獄の存在を否定し、万人が天国に行くと主張するグループもあります。
最後に
キリスト教の地獄に対する印象は”残酷性に欠ける”の一言に尽きます。
仏教・イスラム教と同様に地獄は炎に纏わる場所とされていますが、前者二宗教と違って苦しみや焼かれ方の具体性に関してあまり触れられていません(私の調査能力不足だったらスイマセン)。
そもそも地獄の有無から議論する辺り、キリスト教がいかに”解釈と議論”を重視していることが伺えますね。