モルモン教について調べてみた
少し前に、アメリカ大統領選で敗北したミット・ロムニー議員の宗教について話題になりました。
彼の一族は代々モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)であり、本人も敬虔な信者なのです。
では、モルモン教とは一体どんな宗教なのでしょうか?
見ていきましょう。
- モルモン教と概要
- モルモン教と信徒数
- モルモン教と起源
- モルモン教とモルモン戦争
- モルモン教とユタ戦争
- モルモン教と教義
- モルモン教と聖典
- モルモン教と戒律
- モルモン教と生死観
- モルモン教と教育
- モルモン教と一夫多妻制
- モルモン教と断食
- モルモン教と神権
- 最後に
モルモン教と概要
1830年にアメリカ合衆国で宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアによって創始されたキリスト教系の新宗教です。
正式名称は末日聖徒イエス・キリスト教会(英: The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, 略称: LDS)で、通称のモルモン教は教典の一つである『モルモン書』に由来します。
モルモン教と信徒数
2010年8月現在、教会の公式発表では全世界に1500万人の会員を擁します。そのうちの14%はユタ州に住んでいます。
その規模の大きさからアメリカではカトリック教会、ルーテル教会、バプティスト派、メソジスト派、ディサイプルスとともにキリスト教の6大教派の一つとされています。
モルモン教と起源
ジョセフ・スミス・ジュニアによると、彼は14歳の時(1820年)、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書『ヤコブの手紙』1章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めました。すると、父なる神とその子イエス・キリストが現れる示現を示され、言葉を交わしたとされます。
イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」とジョセフに告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだとされます。
モルモン教とモルモン戦争
ジョセフ・スミス・ジュニアは、ミズーリ州西部、特にインデペンデンス周辺地域やその他のミズーリ州西部地域は、天国となり採取の地となるという神のお告げを受けたと主張しました。
すると1830年代初期までにモルモン教徒がインデペンデンス周辺地域とその周囲に這入ってきました。
モルモン教徒は集団で投票を行い、一定地域に集中して住み、自分たちの間だけで取引を行い、また奴隷を持とうとしませんでした。それらは地域住民らとの間に軋轢を生み、争いに発展しました。
加えて、ミズーリ州知事リルバーン・ボッグスは撲滅命令の前兆となるものを発行し、それがミズーリ州人にとってどんな手段を尽くしてでもモルモン教徒を追い出そうという動機となりました。
結果、小競り合いや小さな戦闘が起こり、多くの人々(大半はモルモン教徒)が殺されました。
この撲滅命令は1976年の破棄まで続きました。
モルモン教とユタ戦争
迫害等から、モルモン教徒は拠点を転々とするなどの移動生活を強いられていました。そうした移動の中で、初代教祖ジョセフ・スミス・ジュニアは、1844年にイリノイ州にて暴徒の襲撃を受け死亡しました。
宗教家ブリガム・ヤングらの一派は西部に安住の地を求めモルモン開拓者として、1847年、現在のユタ州ソルトレイクシティに拠点を構えるに至りました。
1857年9月11日、アーカンソー州からカリフォルニア州を目指し移動していた開拓団が、ソルトレイク郊外に滞留しました。その時、教団の中において、開拓者一行の中に初代教祖を殺害した者が居るというデマが流布された事から、教団の一部が武装蜂起して、滞留地の開拓民を襲撃して殆どを虐殺しました(マウンテンメドウの虐殺)。
アメリカ陸軍はこれをうけて、教団に対して攻撃を開始、戦闘状態に陥りました。
この交戦をユタ戦争と呼びます。
モルモン教と教義
モルモン教は三位一体の否定と原罪の否定を掲げています。
三位一体の否定
完全な肉体を持つ天の父なる神と、その長子イエス・キリストと、霊体でありイエスをキリストと証明する聖霊とを信じ、父なる神とイエス・キリストと聖霊はそれぞれ別個の存在であって、人類の救いという目的のために常に一致して事をなすとされています。
原罪の否定
アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いであったとされています。
この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられたと言います。
モルモン教と聖典
モルモン書
1827年9月、21歳になったジョセフ・スミス・ジュニアは金版の書を現在のクモラの丘(現在のニューヨーク)から掘り出し、神の霊感によってその書物を英語に翻訳し、この記録を編纂した古代の預言者モルモンの名にちなんでモルモン書と名づけたとされます。
聖書
「正確に翻訳されている限り神の御言葉と信じる」と注釈つきで聖書を聖典としています。
長い歴史の間に学術解釈・悪意・過失によって一部の書き換え、あるいは消去された個所があり、そのために基本的な教義がわかり難くなったり色々な解釈に分かれてしまったからです。
教義と聖約
ジョセフ・スミス・ジュニア、ブリガム・ヤング、ジョセフ・F・スミス等に与えられた啓示の他、二つの「公式の宣言」が収録されています。
高価な真珠
ジョセフ・スミス・ジュニアにより翻訳された「聖書」の抜粋、古文書より翻訳されたアブラハムの記録、教会草創期におけるジョセフ・スミス・ジュニアの記録の抜粋、信仰箇条等を収録しています。
モルモン教と戒律
モルモン教の「戒め」とは、人が神の器としての水準を維持するための安全基準として自ら進んで守るべきものとされています。
十戒
古代イスラエルにおいて預言者モーセにより与えられたモーセの十戒を現代でも実践するよう教えられています。
- 神を信じること
- 偶像崇拝をしないこと
- 神の名をみだりに唱えないこと
- 安息日(日曜日)を聖なるものとすること
- 両親を敬うこと
- 殺人をしないこと
- 姦淫をしないこと
- 盗まないこと
- 嘘をつかないこと
- むさぼらないこと
知恵の言葉
健康の維持が人の神聖を保つという教えに基づいて定められた教義。
原則として教会は、物質名や商品名を列記して禁止し強制する運用は知恵の言葉の理念に反すると考えています。
コーヒー、紅茶、茶(麦茶など茶葉を使わないものはかまわない。)、タバコ、アルコール飲料、麻薬類(医師の処方を除く)を禁じています。
純潔の戒律
生殖に関する教え。
性欲は罪ではなくコントロールするように教えています。
夫婦間以外でのあらゆる性行為、婚前交渉などの、性的感覚をむやみに刺激する事柄は重大な罪であるとします。
モルモン教と生死観
人は死ぬと霊となって存在し、キリストについて悟る猶予の時間が与えられます。やがてこの世に生を受けた全ての人間は復活し、「神の裁きの法廷」に立たされます(最後の審判)。
人間は、これまでの思いと行いによって裁かれて、「神の国」に入るか、「外の暗闇」に取り残されるかが決定されます。
誰もが人生のどこかで罪を負っており、法廷に立った時点でキリストとの契約が有効である者は、キリストの情状酌量(贖い)が受けられ、神の国に入ることが許されます。
契約が有効でない者は罪ありとされ、「外の暗闇」(永遠の地獄)に取り残され、サタンに支配されます。ちなみに魂が消滅することはありません。
モルモン教と教育
教会が最も大切にしていることの一つは教育です。この世の教育と同様、霊的な教育も不可欠であると考えられています。(中略)
教会はさらに、 永代教育基金を設けて、開発途上国の教会の若い男女に教育と訓練を受ける機会を与えています。ほとんどが教会員の献金によるこの基金は、学生たちが自国やそれぞれの地域社会で学校に通い、就職先を見つけることができるようにするため、貸与されます。
上記の通り、モルモン教は非常に教育に力を入れています。
モルモン教と一夫多妻制
創始者ジョセフ・スミスは、教義として、神により多妻を認められているとし、教会員は一夫多妻を実施していました(ジョセフ・スミス自身にも30人余りの妻が居たとされています)。
モルモン教創設後、合衆国で一夫多妻が違法とされ、一夫多妻者の移民を禁止する法律ならびに一夫多妻制を指導する宗教の財産を没収するという、モルモン教を対象とした法律エドモンド・タッカー令などが成立しました(教会は信教の自由を根拠に裁判で争ったが敗訴)。
モルモン教と断食
モルモン教では月の初めの日曜日が断食の日に設定されており、2食を断つことが推奨されています。
多くの信者は前日の土曜日の夕食から断食を開始します。
断食によって節約された、お金は困っている人を助けるための断食献金として教会に寄付されます。
モルモン教と神権
旧約族長時代の「神権」が回復されたと信じており、12歳以上の男性は年齢とふさわしさに基づきアロン神権(執事・教師・祭司・監督)、18歳以上のアロン神権者はメルキゼデク神権(長老・大祭司・七十人・祝福師・使徒)に聖任されます。
このうちメルキゼデク神権を保有する男性会員は、新約聖書のイエス・キリストとその弟子たちと同様の「癒しの権能」を持つとされています。
女性に対しては神権は授与されません。
最後に
いかがだったでしょうか?
十戒を守る姿や教育に力を入れている点は、どこかユダヤ教に似ていますね。しかし奴隷を持たぬ姿や一夫多妻制は、当時、アメリカ初期開拓者やひいては合衆国からかなり顰蹙を買ったようです。
公式HPではモルモン書も閲覧できます。
気が向いた時にでも如何です?