林檎とフクロウ

故きを温ねて新しきを知る――哲学や宗教学などの人文科学を読み解き、生きる道を見出すことを目的としたブログです。

イスラム教における地獄について調べてみた

先日は仏教における地獄についてお話しました。

実はイスラム教の地獄も、仏教の地獄のように様々なブロックがあるのです。

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イスラム教における地獄と最後の審判

世界の終末に際しての審判において、善行の重い者は天国に送られる一方で、不信心者や悪事を成した者は地獄に送られます。

地獄には7つの門があり、各々の門には罪人の一段が割り当てられるとします(コーラン15章43-44節)。

 

イスラム教における地獄と7つの門

ムハンマド天使ガブリエルに「地獄の門は、我々の世界の門に似ているのでしょうか」と尋ねた時、ガブリエルは次のように答えたと言います。

「それらの門は開いていて、一つの門の下にもう一つの門があり、さらにその下にもう一つの門があるというように、階層構造をなしている

また距離や熱に関して「一つの門から、その下の門までの距離は、歩いて700年かかる。一つ下の門に行くごとに、熱は70倍増加する」と述べました。

 

イスラム教における地獄と最下層”ハーウィア”

最下層のハーウィアには偽善者たち食卓の人々の中で不信仰者となった者、モーゼ達を迫害したファラオの一党がいるとされています。

意味は「奈落」

食卓の人々の中で不信仰者となった者

コーランの第五章に「食卓章」といものがあります。

これには、エスの弟子たちが、エスに向かって天から食卓が下るように求めたところ、豪華な食事がのった食卓が40日間毎日天から下り1300人もの人々がこの食事をとったという奇蹟について記されています。

食卓を下す前、神は「本当にわれは、それ(食卓)をあなたがたに下すであろう。それで今後もしあなたがたの中で不信仰者となる者があれば、われは世の誰にもまだ加えなかった懲罰で、彼を罰するであろう」と警告しています。

この節に基づいて、食卓の奇蹟を目撃しながら不信仰に陥った人々は地獄の最下層に置かれたと考えられています。*1

 

イスラム教における地獄と第二の門”ジャヒーム”

ジャヒームには多神教がいるとされています。

意味は「竈」

 

イスラム教における地獄と第三の門”サカル”

サカルには悪魔と、悪魔に従った人々、そしてゾロアスター教徒がいると言われています。

 

イスラム教における地獄と第四の門”イサール”

イサールにはサービア教コーランの中でユダヤ教キリスト教と並んで一神教と認められている宗教)の信徒がいるとされています。

意味は「燃え上がる炎」。

 

イスラム教における地獄と第五の門”フタマ”

フタマにはユダヤ教徒がいると言われています。

意味は「砕く火」

 

イスラム教における地獄と第六の門”ラザー”

ラザーにはキリスト教徒がいるとされています。

意味は「燃える火」。

 

イスラム教における地獄と第七の門”ジャハンナム”

ガブリエルは「第七の門には、あなたの共同体の中で、大罪を犯したのに悔悟しないまま死んだ人々がいます」と説明しました。

つまりイスラム教徒の罪人が居るとされています。

ちなみにこれを聞いたムハンマドは気を失ったとされます。

意味は「火地獄」

 

イスラム教における地獄と動植物

地獄にはサソリがいるとされています。

地獄の蛇はラクダの首ほどの太さがあり、サソリもラバの大きさを持つとされ、一度噛まれたらその毒で40年苦しくと言います。

また、地獄にはザックームという植物があります(37章63-67節)。ザックームを食べれば胃袋の中で沸騰するとされ、また苦さは、樹液を一滴でも世界の海に混入したならば世界の全住民を滅ぼしてしまう程です。

 

イスラム教における地獄と看守

地獄にはサバーニーヤという19人の天使が管理者として存在します。

地獄の業火にあえぐ罪人たちを責め苛むことを仕事とし、彼らに慈悲を乞うても、決して許されることはありません。

サバーニーヤの長はマーリクという天使で、最高管理者でもあるので「火の天使」とも呼ばれています。

 

イスラム教における地獄と救い

「罪を犯した者は地獄の懲罰の中に永遠に住む」コーラン(43章74節)にあります。故に地獄の懲罰は永遠に続くとされます。

しかし、アッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の預言者である」と唱えたことのあるすべての者は、地獄から救い出され天国に入ると説きます。

 

最後に

驚くべきことに、宗教によって階層が異なるイスラム教の地獄。しかも、最後は救われると書きましたが、それはアッラーを信仰する者だけです。つまりハーウィアの不信仰者は最後まで救われないのです。

異教徒に対する態度と共同体に対する態度が、まさに天と地ほどの差がありますね。