インドにおける仏教の衰退について調べてみた
仏教誕生の地、インド。
しかしインドは現在、多くの国民はヒンドゥー教を信仰しています。
何故インドで仏教が衰退したのでしょうか?
仏教衰退と概要
インドは仏教発祥の地ですが、イスラームによる弾圧の結果、一時期滅亡しました。
しかし20世紀に入り、アンベードカルの仏教改宗運動によって、主に不可触民を中心に数十万人の仏教徒が誕生しました(不可触民とは、カースト制度の外側にある、インドのヒンドゥー教社会における被差別民のこと)。
仏教衰退と信徒数
2001年に行われたインドの国勢調査では、仏教徒は640万人で、人口比は僅か0.8%でした。
一方で、インド仏教徒の指導者である佐々井秀嶺らは、インドの仏教徒はすでに1億人を超えていると主張しています。
他に信徒の実数を2000万人とする推計もあります。
仏教の発生
紀元前5世紀頃、釈迦が悟りを開いて仏陀になり、各地で人々に教えを説いていました。
仏陀の死後も仏教はインド各地に広がり、特に紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王の保護のもとで全インドに広がりました。アショーカ王の行った仏教保護政策は、磨崖碑・石柱碑の全国への設置、ストゥーパの建設、スリランカへの伝道、仏典結集などがあげられます。
仏教の分裂
仏陀の死後100年後に、拡大した仏教教団は伝統的・保守的な上座部と、進歩的・革新的な大衆部との二つの分裂しました。更にその後も分裂が続き、結果、約20の部派が成立しました。この部派に分かれた時代の仏教を部派仏教と言います。
部派仏教の僧侶たちは権力者の保護のもと、僧院の中で他派との論戦を繰り返す中で学問的な研究を主体とするようになり、次第に民衆の悩みや苦しみを救済するという実践的な活動からは離れて行き、貴族的になっていきました。
仏教衰退とヒンドゥー教の浸透
4世紀にはグプタ朝が成立しました。この王朝はガンジス川流域に起こった王朝で、インドの文明を継承しており、宮廷では従来の仏教と並んで、インド社会固有の宗教であるバラモン教からうまれてその頃民衆に定着していたヒンドゥー教も保護されました。
この時代から仏教は、民衆から離れた、いわば知識人の学問という性格に転換し始めており、民衆にはカースト制と結びついた伝統的な社会慣習を基盤とした多神教であるヒンドゥー教が深く浸透していたのです。
続くヴァルダナ朝でも仏教とヒンドゥー教が保護されましたが、大衆にはヒンドゥー教が更に浸透していきました。
そしてヴァルダナ朝はハルシャ王の死後、急速に衰退・滅亡しました。その後、北東インドで生まれたパーラ朝を最後に、仏教を保護する王朝は現れませんでした。
仏教衰退とイスラム教の接触
711年にムハンマド・ビン・カーシムがシンド(現在のパキスタン南部)を征服し、インド社会にイスラム教の最初の接触をもたらしました。
ムハンマド・ビン・カーシムの支配下では、多くの場所場所で、仏塔がモスクに転用されました。
また、征服された地域の非ムスリムの人びとは啓典の民として扱われ、 人頭税(ジズヤ)を支払うことで信仰を実践する自由を認められました。
仏教衰退と逃亡
10世紀後半にアフガニスタンで成立したガズナ朝ではンジャーブ地方からガンジス川流域に前後17回にわたって出兵しました。
続いてアフガニスタンで成立したゴール朝も1175年に北インド侵攻を開始し、1192年にタラーインの戦いでラージプート諸国連合軍を破り、さらに1202年にはベンガルまで進出しました。
この過程でヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教の寺院は破壊され、信者が迫害されました。
結果、民衆とは遊離していた仏教の僧侶たちはインドを離れ、ネパールなどに逃れました。これはインドで仏教が衰退することとなりましたが、仏教がインド以外の地で広がっていくキッカケにもなりました。一方で、民衆の生活レベルに定着していたヒンドゥー教徒とジャイナ教徒は、生活を捨てるわけにいかずインドを離れませんでした。
仏教衰退とバクティ運動
ヒンドゥー教による、ジャイナ教と仏教を排除し、インド古来の神々(シヴァ神やヴィシュヌ神など)への信仰を復興させようという民衆の宗教運動が6世紀に南インドに始まり、16世紀までに全インドで広がりました。この宗教運動をバクティ運動と言います。
バクティとは最高神への帰依をさす言葉で「信愛」ないし「誠信」と訳されます。
ブラフマンとアートマンの理解や、ヴェーダの祭祀によらなくとも、熱心な帰依の心をもって、あたかも恋人にたいするように神を愛し念じれば、救済がもたらされるとする教えです。
仏教衰退の原因
日本の歴史学者山崎元一氏は仏教の衰退の理由を3つ挙げています。
・第一に仏教が都市型の宗教であり、大商人の寄付によって教団を維持していたが、その都市がヴァルダナ朝以降衰えたことがあげられる。
・第二にヒンドゥー教がバクティ運動によって大衆に受け入れられたことである。仏教の在家信者は僧から法話を聞くが、日常の宗教儀礼はバラモンに依存していた。
・第三はヒンドゥー教と結びついてカースト制度が形成されたことである。カースト制を否定する教理を持つ仏教は、次第にその現実と離反していった。
仏教衰退と復興
インド独立後の1956年10月14日、カースト制度に苦しんでいた不可触民の指導者、ビームラーオ・アンベードカル(初代インド法務大臣、インド憲法の起草者)が三宝・五戒を授けられ、彼を先頭に約50万人の不可触民が仏教に改宗したことで、仏教がインドにおいて一定の社会的勢力として復活しました。
最後に
いかがだったでしょうか?
仏教が民衆から離れ、僧侶の学問となってしまったことが致命傷であると私は思います。コレがなければ、イスラム教による弾圧により僧侶や寺院を失っても信仰者は残っているはずですから、いくらでも再興出来たはずです。
インドにおける仏教の衰退は起こるべくして起こったのかもしれません。