新宗教について調べてみた
先日モルモン教についてお話しました。
モルモン教こと末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年に創始された”新宗教”です。
日本にも新宗教は数多く存在します。
皆さんは新宗教・新興宗教と聞いてどんなイメージを抱きますか?
決してポジティブな印象ではないでしょう。
その原因を探っていきましょう。
- 新宗教と概要
- 新宗教と新興宗教
- 新宗教と否定
- 新宗教と国家神道体制
- 新宗教と戦後
- 新宗教と形態
- 新宗教と教祖
- 新宗教と教学
- 新宗教と布教
- 新宗教と入信理由
- 新宗教と心なおし
- 新宗教と新日本宗教団体連合会
- 新宗教と新新宗教
- 最後に
新宗教と概要
既成宗教に対して、新しくできた宗教。社会の変動期に庶民の世直しへの欲求や生きがいの模索に応える形で、多くは俗人出身の教祖によって組織される。日本では幕末維新期および第二次大戦直後に多く誕生した。
辞書ではこのように書かれています。
あくまでも学問上の便宜的な用語であり、我々俗人には”新興宗教”の呼び名の方が馴染みが深いですね。
ちなみにアメリカでは「19世紀(1801年~1900年)に基礎を確立した宗教」を指す場合が多く、ヨーロッパでは「1960年代以降に発展した宗教」を新宗教と呼んでいます。
新宗教と新興宗教
戦前は新宗教や新興宗教という言葉は一般的ではなく、専ら邪教というイメージを伴う「類似宗教」という言葉が用いられていました。
戦後の1950年代から60年代にかけて、新しい宗教団体の活動が活発化、爆発的な拡大を始め、「新興宗教」という言葉が一般に広く使われるようになりました。
しかし、1970年代半ば以降、新興宗教という表現には蔑視するニュアンスがあるとして、新宗教という表現が研究者やジャーナリストの間で一般化しました。
新宗教と否定
新宗教に分類される宗教の中には、新宗教であることを否定する宗教もあります。
例えば1930年に創立した創価学会は新宗教であることを否定しています。
他にも、孝道教団は天台宗との伝統から、生長の家は一切の宗教科学を包容した超宗教であると主張から、新宗教であることを否定しています。
新宗教と国家神道体制
新宗教は、いわゆる国家神道体制下で、「新興類似宗教団体」、「疑似宗教」等と呼ばれて淫祠邪教視され、警察の監視、取り締まりの対象とされていました。
新宗教への弾圧を繰り返した政府は、その都度、ラジオ・新聞・出版などマスコミを使って大々的な邪教キャンペーンを展開して弾圧を正当化しました。
この宣伝こそ、国民が新宗教を邪教視・低俗視する一因であると考えられています。
新宗教と戦後
戦時体制により、政府による宗教統制はさらに厳しいものとなり、戦争推進協力に積極的であった生長の家、霊友会等の一部の新宗教を除き、大半の新宗教は、ほとんど活動の余地を奪われて、逼塞状態となりました。
しかし、戦後、新宗教が初めて活動の自由を獲得し、新宗教らは急成長を遂げました。
新宗教と形態
ひとつの典型的な形態としては、ある人物の天啓や神がかりにより運動が創始され、既存の伝統的な宗教から影響を受けつつ、新たな宗教としての体裁をなし、組織的教団となっていく例があげられます。
または、宗教的修行者のもとに病気治療や人生相談を要求する人々が集結し、組織が拡大して教祖的な位置に至る場合もあります。
新宗教と教祖
新宗教の教祖の経歴は非常に多様であり、宗教家をもつ家庭環境に誕生し育った人よりも、様々な社会階層、職業の人が宗教的回心によって教祖になる例が圧倒的に多いです。
それゆえ信者たちにとって教祖は、尊敬されつつも、一般に考えられているよりは比較的身近で親しみの持てる存在として受け止められています。
新宗教と教学
新宗教は、伝統宗教と比較すると、難しい教学をさほど重視せず、実生活に即した分かりやすい説明を大事としていることが多です。
また、伝統宗教が年中行事や人生儀礼に関わる比重が高いのに対し、新宗教では、日常生活で遭遇する現実的な問題解決に熱心です。
新宗教と布教
伝統宗教では基本的に地縁・血縁による単純再生産がなされます。
対して新宗教では、積極的に布教を実施しない姿勢の教団も少数あるが、布教師だけでなく一般信者も布教に尽力する教団が多く、新たな信者獲得に努める姿勢が見られます。
新宗教と入信理由
かつての新宗教の入信動機は、貧困といった経済的事由、病気をはじめとした健康問題、人間関係のトラブル(いわゆる「貧・病・争」)といった精神的苦痛が、多数を占めており、剥奪的動機により説明されることが多かったです。
しかし、戦後の高度経済成長期の終盤を迎えるころから、入信動機に精神的な満足や充足を求める割合が増えています。
新宗教と心なおし
悩みに対し、既存の伝統宗教にも共通する神仏への信仰のみならず、特別な力を持つとされる教祖への個人崇拝的信仰、勤行読経・唱題、手かざし、先祖供養等の方法により、悩みを直接的に解決できると打ち出すことも多いですが、多くの場合、もっとも重要とされるのは本人の「心なおし」です。
過去の心の在り方を反省し、心の持ち方を改め、他者に常に善意と感謝を持って対することが最も重要とされている点は、多数の新宗教教団に共通しています。
新宗教の教えとは「心なおし」の教えといってよいほど、多数の教団の教えの核心部分にこの「心なおし」が関わっています。*1
新宗教と新日本宗教団体連合会
戦前から戦後しばらくまで、伝統宗教側では、新宗教は人々を惑わす低級な宗教だという評価が一般的でした。
しかし、新日本宗教団体連合会が結成され、新宗教の側から宗教協力が推進されたことで、伝統宗教との摩擦を小さくする努力が行われました。
新日本宗教団体連合会とは
新宗教教団の結束をもって世界平和の実現と人類福祉の増進に寄与することを目的に発足、戦後日本の精神世界復興を目指して、新しい宗教運動の推進を担ってきました。
その基本理念は宗教協力の推進と信教の自由の堅持を柱に、〈平和と自由〉の世界を築くことにあります。
新宗教と新新宗教
宗教学者の島薗進は、1970年代以降発展した新宗教を「新新宗教」と呼ぶ立場を取り、新新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分類しました。
その内、「隔離型」の団体は、世俗の職業生活や家庭生活を放棄して強固な共同体を形成しようとするために、トラブルを起こしがちであり、反社会的な「カルト」教団と批判される団体の多くは隔離型であるとしています。
最後に
いかがだったでしょうか?
悩みに寄り添う点や手軽さにより発展した点は、浄土信仰に非常に似ていますね。
やはり”人々に受け入れやすい”という点は宗教を発展させるためには必要不可欠なのでしょう。
しかし、かつての邪教キャンペーンや反社会的なカルト教団の存在が我々一般市民にネガティブな印象を抱かせているのは事実です。
ポジティブな体勢とネガティブな印象の鬩ぎあいこそが新宗教の面白いところですね。