浄土教について調べてみた
多くの仏教では最終目標に”解脱”を据えてきました。
しかし仏教出身の宗教であるにも関わらず、解脱を目標としない宗教があります。
それが浄土教です。
浄土教と概要
まずは浄土に往生し、その浄土で修行して成仏・悟りを目指す教え・信仰のことです。
阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願います。
浄土教と起源
浄土教の成立時期は、インドにおいて大乗仏教が興起した時代です。
紀元100年頃に『無量寿経』と『阿弥陀経』が編纂されたのを契機とし、時代の経過とともにインドで広く展開していきました。
日本には7世紀前半に浄土教(浄土思想)が伝えられました。奈良時代には智光や礼光が浄土教を信奉し、南都系の浄土教の素地が作られました。
浄土教と末法
「末法」とは、釈尊入滅から二千年を経過した次の一万年を「末法」の時代とし、「教えだけが残り、修行をどのように実践しようとも、悟りを得ることは不可能になる時代」としています。釈尊の入滅は五十数説ありますが、法琳の『破邪論』上巻に引く『周書異記』に基づく紀元前943年とする説を元に、末法第一年を平安末期の永承7年(1052年)と考えられました。
本来「末法」は、上記のごとく仏教における時代区分でしたが、平安時代末期に災害・戦乱が頻発した事にともない終末論的な思想として捉えられるようになります。転じて「末法」は、世界の滅亡と考えられ、貴族も庶民もその「末法」の到来に怯えました。
さらに「末法」では現世における救済の可能性が否定されるので、死後の極楽浄土への往生を求める風潮が高まり、浄土教が急速に広まることとなりました(諸説有)。
浄土教と教理
浄土教は、この迷いの世界ではまず極楽への往生を目指し、極楽に往生したのち、そこで修行を積んで成仏・悟りを目指します。
往生そのものは基本的には死の瞬間になされます。その際、無量寿経の第十九願に説かれるように、行者は阿弥陀仏や聖衆の来迎を受け、阿弥陀仏に引接されて極楽に向かいます。
浄土教と極楽浄土
浄土とは、仏教において、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のことです。
阿弥陀如来の西方極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃浄土などの種々の浄土があるとされています。
遥か昔、阿弥陀仏は悟りを開き、西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えました。現在でもこの極楽で人々のために説法しています。
この浄土には一切の苦はなく、ただ楽のみがあります。
浄土教と修行
浄土教では往生の後、極楽浄土で修行に励みます。
極楽の諸要素は修行に最適の環境となっており、自然と修行が増進します。更に極楽に往生すれば皆、不退転の菩薩となる故に、修行が退転することもありません。
しかも、第十一住正定聚願と第二十二必至補処願において、阿弥陀仏は極楽に往生した者を悟りに至らしめると誓っているので、往生すれば必ず成仏することができることになる。
浄土教と阿弥陀信仰
阿弥陀信仰とは、阿弥陀仏を対象とする信仰のことで、「浄土信仰」とも言われます。
浄土教では、阿弥陀仏を念仏することにより、その仏国土である極楽浄土に往生できると説かれている
浄土教と他力本願
他力は、仏教用語で、衆生を悟りに導く仏・菩薩の力、仏・菩薩の加護のこと。
本願とは、「仏や菩薩が過去において一切の生あるものを救おうとして立てた誓願」を意味します。
上記の意味より、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを指します。
浄土宗と経典
日本の浄土教では、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』を、「浄土三部経」と総称します。
最後に
浄土教の神髄はその懐の深さと手軽さでしょう。
念仏を唱えるだけで浄土に行ける上に、浄土では阿弥陀仏が世話を見てくれると言います。
やはりいつの時代にも懐の深さは必要のようですね。