インドにおける仏教の再興について調べてみた
先日”インドにおける仏教の衰退”について記事にしました。その最後に、ビームラーオ・アンベードカル氏が約50万人のダリットと共に仏教に改宗したお話をしました。
仏教発生の地で仏教が再興することは大変喜ばしいことです。
しかし、この再興が議論を呼んでいます。
どのようなものなのでしょうか。
- 仏教衰退
- 仏教再興の始まり
- 仏教再興と合理主義的教義
- 仏教再興と独自の解釈
- 仏教再興とヒンドゥー教からの反発
- 仏教再興とアンベードカルの22の誓
- 仏教再興と新仏教
- 仏教再興とゲイル・オムヴェットの疑問
- 最後に
仏教衰退
仏教は、始まった紀元前5世紀前後から着実に成長し、紀元前3世紀のアショーカ王治下のマウリヤ朝で国家宗教として承認される時まで、安定した成長を見せてきました。
しかし、後のグプタ朝とパーラ朝の時代のインドにおいて、仏教は着実に衰退していき、19世紀の末までに事実上絶滅しました。
仏教再興の始まり
インド独立後の1956年10月14日、カースト制度に苦しんでいたダリットの指導者ビームラーオ・アンベードカル氏が三宝・五戒を授けられ、彼を先頭に約50万人のダリットが仏教に改宗したことで、仏教がインドにおいて一定の社会的勢力として復活しました。
アンベードカルが改宗したインド西部のマハーラーシュトラ州ナーグプールのディークシャーブーミには現在、これを記念する仏塔が建立されています。
ちなみにアンベードカル自身は改宗のわずか2か月後に仏教に関する著書『ブッダとそのダンマ』を遺し急逝しました。
仏教再興と合理主義的教義
ダリットを基盤として復活したインドの仏教はアンベードカルの独自のパーリ仏典研究の結果として「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得たとする仏教理解に立脚しています。
仏教の基本教理とされる輪廻による因果応報をカースト差別との関連から拒否するなど、その合理主義的な教義から、ダリットらの人権・解放運動、社会運動の一環に過ぎないとの指摘もありました。
仏教再興と独自の解釈
アンベードカルらは上記のように、多くの点で独自の仏教解釈をしています。
特筆すべきは、彼らが釈迦を単なる宗教的指導者ではなく、政治的かつ社会的改革者として強調している点です。
仏教再興とヒンドゥー教からの反発
約50万人のダリットの改宗に対して、ブッダをヴィシュヌ神の化身と位置づけるヒンドゥー教徒やカースト制度の恩恵を受ける上位カースト層から偏見や反発が生じました。
また。イスラーム教徒の弾圧でインドから仏教が消滅したため置き去りにされていた仏教の聖地や寺院の多くは、現在はヴィシュヌ神を祭る場としてヒンドゥー教徒が管理していました。仏教徒はこれら聖地の返還を求めており、現在も政治問題となっています。
仏教再興とアンベードカルの22の誓
叙任式の後、アンベードガルは支持者らに法の伝授を行いました。この式典には三宝と五戒に続いて、全ての新しい改宗者に与えられた22の誓いが含まれました。
- 私はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの信仰を持たず、それらを崇めない。
- 私は神の化身と信じられているラーマやクリシュナの信仰を持たず、それらを崇めない。
- 私はガウリー、ガネーシャその他ヒンドゥーの神々や女神の信仰を持たず、それらを崇めない。
- 私は神の化身を信じない。
- 私はブッダがヴィシュヌの化身だと信じない。私はこれを狂気の沙汰であり、偽りのプロパガンダであると信じる。
- 私はシュラッダー(ヒンドゥー教の先祖供養)を行わない。ピンダ(供え物の団子[5])を捧げることもしない。
- 私は仏陀の(教えた)正しい道と教えにもとる行いをしない。
- 私はバラモンが執り行うどんな祭典も許可しない。
- 私は人の平等さを信じる。
- 私は平等を確立するために励む。
- 私は仏陀の八正道を受け入れる。
- 私は仏陀が説いたように十波羅蜜を実践する。
- 私は全ての生き物を慈しみ、かれらを保護し、大事にする。
- 私は盗みをしない。
- 私は嘘をつかない。
- 私は不倫をしない。
- 私は(酒や麻薬のような)酩酊させるものを摂取しない。
- 私はブッダの法である智慧と道徳と優しさという3つの原則と協調させて、日常生活を過ごす。
- 私はヒンドゥー教を捨てる。それは不平等を基礎とするが故に人類にとって有害であり、人類の進歩と前進を妨げる。そして私は仏教を自己の宗教として採択する。
- 私はブッダの法(ダルマ)こそが唯一つの真の宗教であると固く信じる。
- 私は「新しい生まれ 」を獲得したと信じる。
- 私は今後、我が人生をブッダとダルマの原理と教えに依って導いていくことを固くかつ厳粛に宣言する。
今日では多くのアンベードカル系団体がこの22の誓いのために働いており、これらの誓いのみが現在の仏教の存続と急速な成長を招きうると信じています。
仏教再興と新仏教
1956年に復活したことから、インド仏教を新仏教とする学者も居ます。しかし、復興運動の中心人物一人である佐々井秀嶺氏は「アーンベードカル博士以前の仏教と私達を意図的に区別し“元不可触民”のレッテルを貼るもの」「同じ人間同士に、新も旧もありません」として間違っていると主張します。
仏教再興とゲイル・オムヴェットの疑問
アメリカ合衆国出身でインドに帰化した社会学者ゲイル・オムヴェット氏は以下のように述べました。
アンベードカルの仏教は見た限りでは、信仰によって受け入れられた仏教、すなわち帰依を行い、聖典を受け入れた人たちのものとは異なっている。このことは、その基礎からして大変明らかである。アンベードカルの仏教は、テーラワーダ(上座部)であれ、マハーヤーナ(大乗)であれ、ヴァジュラヤーナ(密教)であれ、これらの聖典を体系的には受け入れていない。そこで次のような疑問が明らかに生じてくる。「四番目の乗り物であるナヴァヤーナ(新しい乗り物)、〔すなわち〕ある種の近代文明的に解釈されたダンマは、本当に仏教という枠組みのなかに含めることが可能なのだろうか?」
出典:Omvedt, Gail. Buddhism in India : Challenging Brahmanism and Caste, 3rd ed. London/New Delhi/Thousand Oaks: Sage, 2003.
また、宗教学者で教授のサリー・キングらは、『ブッダとそのダンマ』におけるアンベードカルの仏教には、宗教的な近代主義のすべての要素が見られ、同書は伝統的な戒律と実践を捨て去り、社会参画仏教がそうであるように、科学、積極的行動主義、社会的変革を導入していると述べます。
最後に
いかがだったでしょうか?
確かに見かけ上はアンベードカル氏らによって仏教は復活を果たしました。しかし、その仏教を既存の仏教の延長線上にあると捉えるか、はたまた新宗教として扱うかは宗教学者らの間でも議論になっているようです。
確かに、独自の仏教解釈により多くの仏教の特徴を否定しています。社会的変革も導入しているでしょう。しかし当人らが新宗教・新仏教と扱われることを否定するのであれば、新しい宗派と解釈するのが妥当だと私は思います。
ともあれ、今後の動向に注目です。
インドにおける仏教の衰退について調べてみた
仏教誕生の地、インド。
しかしインドは現在、多くの国民はヒンドゥー教を信仰しています。
何故インドで仏教が衰退したのでしょうか?
仏教衰退と概要
インドは仏教発祥の地ですが、イスラームによる弾圧の結果、一時期滅亡しました。
しかし20世紀に入り、アンベードカルの仏教改宗運動によって、主に不可触民を中心に数十万人の仏教徒が誕生しました(不可触民とは、カースト制度の外側にある、インドのヒンドゥー教社会における被差別民のこと)。
仏教衰退と信徒数
2001年に行われたインドの国勢調査では、仏教徒は640万人で、人口比は僅か0.8%でした。
一方で、インド仏教徒の指導者である佐々井秀嶺らは、インドの仏教徒はすでに1億人を超えていると主張しています。
他に信徒の実数を2000万人とする推計もあります。
仏教の発生
紀元前5世紀頃、釈迦が悟りを開いて仏陀になり、各地で人々に教えを説いていました。
仏陀の死後も仏教はインド各地に広がり、特に紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王の保護のもとで全インドに広がりました。アショーカ王の行った仏教保護政策は、磨崖碑・石柱碑の全国への設置、ストゥーパの建設、スリランカへの伝道、仏典結集などがあげられます。
仏教の分裂
仏陀の死後100年後に、拡大した仏教教団は伝統的・保守的な上座部と、進歩的・革新的な大衆部との二つの分裂しました。更にその後も分裂が続き、結果、約20の部派が成立しました。この部派に分かれた時代の仏教を部派仏教と言います。
部派仏教の僧侶たちは権力者の保護のもと、僧院の中で他派との論戦を繰り返す中で学問的な研究を主体とするようになり、次第に民衆の悩みや苦しみを救済するという実践的な活動からは離れて行き、貴族的になっていきました。
仏教衰退とヒンドゥー教の浸透
4世紀にはグプタ朝が成立しました。この王朝はガンジス川流域に起こった王朝で、インドの文明を継承しており、宮廷では従来の仏教と並んで、インド社会固有の宗教であるバラモン教からうまれてその頃民衆に定着していたヒンドゥー教も保護されました。
この時代から仏教は、民衆から離れた、いわば知識人の学問という性格に転換し始めており、民衆にはカースト制と結びついた伝統的な社会慣習を基盤とした多神教であるヒンドゥー教が深く浸透していたのです。
続くヴァルダナ朝でも仏教とヒンドゥー教が保護されましたが、大衆にはヒンドゥー教が更に浸透していきました。
そしてヴァルダナ朝はハルシャ王の死後、急速に衰退・滅亡しました。その後、北東インドで生まれたパーラ朝を最後に、仏教を保護する王朝は現れませんでした。
仏教衰退とイスラム教の接触
711年にムハンマド・ビン・カーシムがシンド(現在のパキスタン南部)を征服し、インド社会にイスラム教の最初の接触をもたらしました。
ムハンマド・ビン・カーシムの支配下では、多くの場所場所で、仏塔がモスクに転用されました。
また、征服された地域の非ムスリムの人びとは啓典の民として扱われ、 人頭税(ジズヤ)を支払うことで信仰を実践する自由を認められました。
仏教衰退と逃亡
10世紀後半にアフガニスタンで成立したガズナ朝ではンジャーブ地方からガンジス川流域に前後17回にわたって出兵しました。
続いてアフガニスタンで成立したゴール朝も1175年に北インド侵攻を開始し、1192年にタラーインの戦いでラージプート諸国連合軍を破り、さらに1202年にはベンガルまで進出しました。
この過程でヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教の寺院は破壊され、信者が迫害されました。
結果、民衆とは遊離していた仏教の僧侶たちはインドを離れ、ネパールなどに逃れました。これはインドで仏教が衰退することとなりましたが、仏教がインド以外の地で広がっていくキッカケにもなりました。一方で、民衆の生活レベルに定着していたヒンドゥー教徒とジャイナ教徒は、生活を捨てるわけにいかずインドを離れませんでした。
仏教衰退とバクティ運動
ヒンドゥー教による、ジャイナ教と仏教を排除し、インド古来の神々(シヴァ神やヴィシュヌ神など)への信仰を復興させようという民衆の宗教運動が6世紀に南インドに始まり、16世紀までに全インドで広がりました。この宗教運動をバクティ運動と言います。
バクティとは最高神への帰依をさす言葉で「信愛」ないし「誠信」と訳されます。
ブラフマンとアートマンの理解や、ヴェーダの祭祀によらなくとも、熱心な帰依の心をもって、あたかも恋人にたいするように神を愛し念じれば、救済がもたらされるとする教えです。
仏教衰退の原因
日本の歴史学者山崎元一氏は仏教の衰退の理由を3つ挙げています。
・第一に仏教が都市型の宗教であり、大商人の寄付によって教団を維持していたが、その都市がヴァルダナ朝以降衰えたことがあげられる。
・第二にヒンドゥー教がバクティ運動によって大衆に受け入れられたことである。仏教の在家信者は僧から法話を聞くが、日常の宗教儀礼はバラモンに依存していた。
・第三はヒンドゥー教と結びついてカースト制度が形成されたことである。カースト制を否定する教理を持つ仏教は、次第にその現実と離反していった。
仏教衰退と復興
インド独立後の1956年10月14日、カースト制度に苦しんでいた不可触民の指導者、ビームラーオ・アンベードカル(初代インド法務大臣、インド憲法の起草者)が三宝・五戒を授けられ、彼を先頭に約50万人の不可触民が仏教に改宗したことで、仏教がインドにおいて一定の社会的勢力として復活しました。
最後に
いかがだったでしょうか?
仏教が民衆から離れ、僧侶の学問となってしまったことが致命傷であると私は思います。コレがなければ、イスラム教による弾圧により僧侶や寺院を失っても信仰者は残っているはずですから、いくらでも再興出来たはずです。
インドにおける仏教の衰退は起こるべくして起こったのかもしれません。
新宗教について調べてみた
先日モルモン教についてお話しました。
モルモン教こと末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年に創始された”新宗教”です。
日本にも新宗教は数多く存在します。
皆さんは新宗教・新興宗教と聞いてどんなイメージを抱きますか?
決してポジティブな印象ではないでしょう。
その原因を探っていきましょう。
- 新宗教と概要
- 新宗教と新興宗教
- 新宗教と否定
- 新宗教と国家神道体制
- 新宗教と戦後
- 新宗教と形態
- 新宗教と教祖
- 新宗教と教学
- 新宗教と布教
- 新宗教と入信理由
- 新宗教と心なおし
- 新宗教と新日本宗教団体連合会
- 新宗教と新新宗教
- 最後に
新宗教と概要
既成宗教に対して、新しくできた宗教。社会の変動期に庶民の世直しへの欲求や生きがいの模索に応える形で、多くは俗人出身の教祖によって組織される。日本では幕末維新期および第二次大戦直後に多く誕生した。
辞書ではこのように書かれています。
あくまでも学問上の便宜的な用語であり、我々俗人には”新興宗教”の呼び名の方が馴染みが深いですね。
ちなみにアメリカでは「19世紀(1801年~1900年)に基礎を確立した宗教」を指す場合が多く、ヨーロッパでは「1960年代以降に発展した宗教」を新宗教と呼んでいます。
新宗教と新興宗教
戦前は新宗教や新興宗教という言葉は一般的ではなく、専ら邪教というイメージを伴う「類似宗教」という言葉が用いられていました。
戦後の1950年代から60年代にかけて、新しい宗教団体の活動が活発化、爆発的な拡大を始め、「新興宗教」という言葉が一般に広く使われるようになりました。
しかし、1970年代半ば以降、新興宗教という表現には蔑視するニュアンスがあるとして、新宗教という表現が研究者やジャーナリストの間で一般化しました。
新宗教と否定
新宗教に分類される宗教の中には、新宗教であることを否定する宗教もあります。
例えば1930年に創立した創価学会は新宗教であることを否定しています。
他にも、孝道教団は天台宗との伝統から、生長の家は一切の宗教科学を包容した超宗教であると主張から、新宗教であることを否定しています。
新宗教と国家神道体制
新宗教は、いわゆる国家神道体制下で、「新興類似宗教団体」、「疑似宗教」等と呼ばれて淫祠邪教視され、警察の監視、取り締まりの対象とされていました。
新宗教への弾圧を繰り返した政府は、その都度、ラジオ・新聞・出版などマスコミを使って大々的な邪教キャンペーンを展開して弾圧を正当化しました。
この宣伝こそ、国民が新宗教を邪教視・低俗視する一因であると考えられています。
新宗教と戦後
戦時体制により、政府による宗教統制はさらに厳しいものとなり、戦争推進協力に積極的であった生長の家、霊友会等の一部の新宗教を除き、大半の新宗教は、ほとんど活動の余地を奪われて、逼塞状態となりました。
しかし、戦後、新宗教が初めて活動の自由を獲得し、新宗教らは急成長を遂げました。
新宗教と形態
ひとつの典型的な形態としては、ある人物の天啓や神がかりにより運動が創始され、既存の伝統的な宗教から影響を受けつつ、新たな宗教としての体裁をなし、組織的教団となっていく例があげられます。
または、宗教的修行者のもとに病気治療や人生相談を要求する人々が集結し、組織が拡大して教祖的な位置に至る場合もあります。
新宗教と教祖
新宗教の教祖の経歴は非常に多様であり、宗教家をもつ家庭環境に誕生し育った人よりも、様々な社会階層、職業の人が宗教的回心によって教祖になる例が圧倒的に多いです。
それゆえ信者たちにとって教祖は、尊敬されつつも、一般に考えられているよりは比較的身近で親しみの持てる存在として受け止められています。
新宗教と教学
新宗教は、伝統宗教と比較すると、難しい教学をさほど重視せず、実生活に即した分かりやすい説明を大事としていることが多です。
また、伝統宗教が年中行事や人生儀礼に関わる比重が高いのに対し、新宗教では、日常生活で遭遇する現実的な問題解決に熱心です。
新宗教と布教
伝統宗教では基本的に地縁・血縁による単純再生産がなされます。
対して新宗教では、積極的に布教を実施しない姿勢の教団も少数あるが、布教師だけでなく一般信者も布教に尽力する教団が多く、新たな信者獲得に努める姿勢が見られます。
新宗教と入信理由
かつての新宗教の入信動機は、貧困といった経済的事由、病気をはじめとした健康問題、人間関係のトラブル(いわゆる「貧・病・争」)といった精神的苦痛が、多数を占めており、剥奪的動機により説明されることが多かったです。
しかし、戦後の高度経済成長期の終盤を迎えるころから、入信動機に精神的な満足や充足を求める割合が増えています。
新宗教と心なおし
悩みに対し、既存の伝統宗教にも共通する神仏への信仰のみならず、特別な力を持つとされる教祖への個人崇拝的信仰、勤行読経・唱題、手かざし、先祖供養等の方法により、悩みを直接的に解決できると打ち出すことも多いですが、多くの場合、もっとも重要とされるのは本人の「心なおし」です。
過去の心の在り方を反省し、心の持ち方を改め、他者に常に善意と感謝を持って対することが最も重要とされている点は、多数の新宗教教団に共通しています。
新宗教の教えとは「心なおし」の教えといってよいほど、多数の教団の教えの核心部分にこの「心なおし」が関わっています。*1
新宗教と新日本宗教団体連合会
戦前から戦後しばらくまで、伝統宗教側では、新宗教は人々を惑わす低級な宗教だという評価が一般的でした。
しかし、新日本宗教団体連合会が結成され、新宗教の側から宗教協力が推進されたことで、伝統宗教との摩擦を小さくする努力が行われました。
新日本宗教団体連合会とは
新宗教教団の結束をもって世界平和の実現と人類福祉の増進に寄与することを目的に発足、戦後日本の精神世界復興を目指して、新しい宗教運動の推進を担ってきました。
その基本理念は宗教協力の推進と信教の自由の堅持を柱に、〈平和と自由〉の世界を築くことにあります。
新宗教と新新宗教
宗教学者の島薗進は、1970年代以降発展した新宗教を「新新宗教」と呼ぶ立場を取り、新新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分類しました。
その内、「隔離型」の団体は、世俗の職業生活や家庭生活を放棄して強固な共同体を形成しようとするために、トラブルを起こしがちであり、反社会的な「カルト」教団と批判される団体の多くは隔離型であるとしています。
最後に
いかがだったでしょうか?
悩みに寄り添う点や手軽さにより発展した点は、浄土信仰に非常に似ていますね。
やはり”人々に受け入れやすい”という点は宗教を発展させるためには必要不可欠なのでしょう。
しかし、かつての邪教キャンペーンや反社会的なカルト教団の存在が我々一般市民にネガティブな印象を抱かせているのは事実です。
ポジティブな体勢とネガティブな印象の鬩ぎあいこそが新宗教の面白いところですね。
モルモン教について調べてみた
少し前に、アメリカ大統領選で敗北したミット・ロムニー議員の宗教について話題になりました。
彼の一族は代々モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)であり、本人も敬虔な信者なのです。
では、モルモン教とは一体どんな宗教なのでしょうか?
見ていきましょう。
- モルモン教と概要
- モルモン教と信徒数
- モルモン教と起源
- モルモン教とモルモン戦争
- モルモン教とユタ戦争
- モルモン教と教義
- モルモン教と聖典
- モルモン教と戒律
- モルモン教と生死観
- モルモン教と教育
- モルモン教と一夫多妻制
- モルモン教と断食
- モルモン教と神権
- 最後に
モルモン教と概要
1830年にアメリカ合衆国で宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアによって創始されたキリスト教系の新宗教です。
正式名称は末日聖徒イエス・キリスト教会(英: The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, 略称: LDS)で、通称のモルモン教は教典の一つである『モルモン書』に由来します。
モルモン教と信徒数
2010年8月現在、教会の公式発表では全世界に1500万人の会員を擁します。そのうちの14%はユタ州に住んでいます。
その規模の大きさからアメリカではカトリック教会、ルーテル教会、バプティスト派、メソジスト派、ディサイプルスとともにキリスト教の6大教派の一つとされています。
モルモン教と起源
ジョセフ・スミス・ジュニアによると、彼は14歳の時(1820年)、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書『ヤコブの手紙』1章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めました。すると、父なる神とその子イエス・キリストが現れる示現を示され、言葉を交わしたとされます。
イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」とジョセフに告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだとされます。
モルモン教とモルモン戦争
ジョセフ・スミス・ジュニアは、ミズーリ州西部、特にインデペンデンス周辺地域やその他のミズーリ州西部地域は、天国となり採取の地となるという神のお告げを受けたと主張しました。
すると1830年代初期までにモルモン教徒がインデペンデンス周辺地域とその周囲に這入ってきました。
モルモン教徒は集団で投票を行い、一定地域に集中して住み、自分たちの間だけで取引を行い、また奴隷を持とうとしませんでした。それらは地域住民らとの間に軋轢を生み、争いに発展しました。
加えて、ミズーリ州知事リルバーン・ボッグスは撲滅命令の前兆となるものを発行し、それがミズーリ州人にとってどんな手段を尽くしてでもモルモン教徒を追い出そうという動機となりました。
結果、小競り合いや小さな戦闘が起こり、多くの人々(大半はモルモン教徒)が殺されました。
この撲滅命令は1976年の破棄まで続きました。
モルモン教とユタ戦争
迫害等から、モルモン教徒は拠点を転々とするなどの移動生活を強いられていました。そうした移動の中で、初代教祖ジョセフ・スミス・ジュニアは、1844年にイリノイ州にて暴徒の襲撃を受け死亡しました。
宗教家ブリガム・ヤングらの一派は西部に安住の地を求めモルモン開拓者として、1847年、現在のユタ州ソルトレイクシティに拠点を構えるに至りました。
1857年9月11日、アーカンソー州からカリフォルニア州を目指し移動していた開拓団が、ソルトレイク郊外に滞留しました。その時、教団の中において、開拓者一行の中に初代教祖を殺害した者が居るというデマが流布された事から、教団の一部が武装蜂起して、滞留地の開拓民を襲撃して殆どを虐殺しました(マウンテンメドウの虐殺)。
アメリカ陸軍はこれをうけて、教団に対して攻撃を開始、戦闘状態に陥りました。
この交戦をユタ戦争と呼びます。
モルモン教と教義
モルモン教は三位一体の否定と原罪の否定を掲げています。
三位一体の否定
完全な肉体を持つ天の父なる神と、その長子イエス・キリストと、霊体でありイエスをキリストと証明する聖霊とを信じ、父なる神とイエス・キリストと聖霊はそれぞれ別個の存在であって、人類の救いという目的のために常に一致して事をなすとされています。
原罪の否定
アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いであったとされています。
この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられたと言います。
モルモン教と聖典
モルモン書
1827年9月、21歳になったジョセフ・スミス・ジュニアは金版の書を現在のクモラの丘(現在のニューヨーク)から掘り出し、神の霊感によってその書物を英語に翻訳し、この記録を編纂した古代の預言者モルモンの名にちなんでモルモン書と名づけたとされます。
聖書
「正確に翻訳されている限り神の御言葉と信じる」と注釈つきで聖書を聖典としています。
長い歴史の間に学術解釈・悪意・過失によって一部の書き換え、あるいは消去された個所があり、そのために基本的な教義がわかり難くなったり色々な解釈に分かれてしまったからです。
教義と聖約
ジョセフ・スミス・ジュニア、ブリガム・ヤング、ジョセフ・F・スミス等に与えられた啓示の他、二つの「公式の宣言」が収録されています。
高価な真珠
ジョセフ・スミス・ジュニアにより翻訳された「聖書」の抜粋、古文書より翻訳されたアブラハムの記録、教会草創期におけるジョセフ・スミス・ジュニアの記録の抜粋、信仰箇条等を収録しています。
モルモン教と戒律
モルモン教の「戒め」とは、人が神の器としての水準を維持するための安全基準として自ら進んで守るべきものとされています。
十戒
古代イスラエルにおいて預言者モーセにより与えられたモーセの十戒を現代でも実践するよう教えられています。
- 神を信じること
- 偶像崇拝をしないこと
- 神の名をみだりに唱えないこと
- 安息日(日曜日)を聖なるものとすること
- 両親を敬うこと
- 殺人をしないこと
- 姦淫をしないこと
- 盗まないこと
- 嘘をつかないこと
- むさぼらないこと
知恵の言葉
健康の維持が人の神聖を保つという教えに基づいて定められた教義。
原則として教会は、物質名や商品名を列記して禁止し強制する運用は知恵の言葉の理念に反すると考えています。
コーヒー、紅茶、茶(麦茶など茶葉を使わないものはかまわない。)、タバコ、アルコール飲料、麻薬類(医師の処方を除く)を禁じています。
純潔の戒律
生殖に関する教え。
性欲は罪ではなくコントロールするように教えています。
夫婦間以外でのあらゆる性行為、婚前交渉などの、性的感覚をむやみに刺激する事柄は重大な罪であるとします。
モルモン教と生死観
人は死ぬと霊となって存在し、キリストについて悟る猶予の時間が与えられます。やがてこの世に生を受けた全ての人間は復活し、「神の裁きの法廷」に立たされます(最後の審判)。
人間は、これまでの思いと行いによって裁かれて、「神の国」に入るか、「外の暗闇」に取り残されるかが決定されます。
誰もが人生のどこかで罪を負っており、法廷に立った時点でキリストとの契約が有効である者は、キリストの情状酌量(贖い)が受けられ、神の国に入ることが許されます。
契約が有効でない者は罪ありとされ、「外の暗闇」(永遠の地獄)に取り残され、サタンに支配されます。ちなみに魂が消滅することはありません。
モルモン教と教育
教会が最も大切にしていることの一つは教育です。この世の教育と同様、霊的な教育も不可欠であると考えられています。(中略)
教会はさらに、 永代教育基金を設けて、開発途上国の教会の若い男女に教育と訓練を受ける機会を与えています。ほとんどが教会員の献金によるこの基金は、学生たちが自国やそれぞれの地域社会で学校に通い、就職先を見つけることができるようにするため、貸与されます。
上記の通り、モルモン教は非常に教育に力を入れています。
モルモン教と一夫多妻制
創始者ジョセフ・スミスは、教義として、神により多妻を認められているとし、教会員は一夫多妻を実施していました(ジョセフ・スミス自身にも30人余りの妻が居たとされています)。
モルモン教創設後、合衆国で一夫多妻が違法とされ、一夫多妻者の移民を禁止する法律ならびに一夫多妻制を指導する宗教の財産を没収するという、モルモン教を対象とした法律エドモンド・タッカー令などが成立しました(教会は信教の自由を根拠に裁判で争ったが敗訴)。
モルモン教と断食
モルモン教では月の初めの日曜日が断食の日に設定されており、2食を断つことが推奨されています。
多くの信者は前日の土曜日の夕食から断食を開始します。
断食によって節約された、お金は困っている人を助けるための断食献金として教会に寄付されます。
モルモン教と神権
旧約族長時代の「神権」が回復されたと信じており、12歳以上の男性は年齢とふさわしさに基づきアロン神権(執事・教師・祭司・監督)、18歳以上のアロン神権者はメルキゼデク神権(長老・大祭司・七十人・祝福師・使徒)に聖任されます。
このうちメルキゼデク神権を保有する男性会員は、新約聖書のイエス・キリストとその弟子たちと同様の「癒しの権能」を持つとされています。
女性に対しては神権は授与されません。
最後に
いかがだったでしょうか?
十戒を守る姿や教育に力を入れている点は、どこかユダヤ教に似ていますね。しかし奴隷を持たぬ姿や一夫多妻制は、当時、アメリカ初期開拓者やひいては合衆国からかなり顰蹙を買ったようです。
公式HPではモルモン書も閲覧できます。
気が向いた時にでも如何です?
バラモン教について調べてみた
釈迦は悟る前、バラモン教の苦行信仰に影響を受け、苦行を行いました。その結果は周知の通りですが・・・さて、バラモン教とは一体何なのでしょうか?
今回はそんあバラモン教を見ていきましょう。
バラモン教と概要
後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃〜紀元前600年頃)にバラモン司祭者のもとでヴェーダの神々を崇拝した宗教。
バラモン教とはバラモンが司祭し指導したためヨーロッパ人が便宜的につけた名称です。
文献によっては古代のヒンドゥー教とも解釈されています。
バラモン教と聖典
神々への賛歌『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、司祭階級が行う祭式を中心とします。
儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に置くので最高神を定めておらず、多神教です。
バラモン教と輪廻転生
バラモン教では、人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まるとされています。
あらゆる生き物は六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道)に生まれ変わり、死に変わって、転生し輪廻するのです。
故に、人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求めました。
バラモン教とカースト
バラモン教ではヒンドゥー教と同じく、階級制度であるカーストを持ちます。
司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)と続きます。
これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされました。
カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできません。
バラモン教と歴史
- 紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされます。
- 紀元前10世紀頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始った。
- 紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示されました。しか、しそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになりました(仏教やジャイナ教)
- 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていきます。
- 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていき、4世紀には他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承さました。
新しい思想と宗教
紀元前5世紀頃に、次々と新しい思想や宗教が生まれました。その理由として、経済力が発展しカースト最高位のバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えらます。
カースト、特にバラモンの特殊性を否定した新しい思想は、特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持され発展しました。
バラモン教とヒンドゥー教
先述したように、バラモン教は古代のヒンドゥー教とも解釈されます。
と言うのも、バラモン教にインドの各種の民族宗教・民間信仰が加えられて、徐々に様々な人の手によって再構成されたのが現在のヒンドゥー教であるからです。
しかし、差異も見受けられます。たとえばバラモン教においては、中心となる神はインドラ、ヴァルナ、アグニなどであったが、ヒンドゥー教においては、バラモン教では脇役的な役割しかしていなかったヴィシュヌやシヴァが重要な神となりました。
バラモン教と他の宗教
仏教
仏教は、バラモン教の習慣、言語習慣を用いて教えを説きました。
ジャイナ教
ジャイナ教は、仏教と同時期にヴァルダマーナによって提唱された教えで、より徹底した不殺生を説きます。
なお、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三者は成立以降、互いに影響し合って発展してきた経緯があります。
シーク教
シク教は、ヒンドゥー教とイスラム教の宥和を目指して構築されたもので、両者の教義を取り入れています。
最後に
いかがだったでしょうか?
仏教はバラモン教の思想を汲みながらも、一部では否定して新しい教義を形成しました。バラモン教からの反発によって生まれたワケです。
実は元の宗教から反発して新しい宗教が生まれることは少なくありません。キリスト教も、元はユダヤ教の宗教改革から生まれた宗教なのです。
キリスト教と仏教の共通点は多いと言いますが、発生の理由も似ていますね。
五蘊皆空について調べてみた
そう、般若心経の冒頭です。
日本語訳をするならば「観音菩薩は”自分が存在するとはどういうことなのか”という問いについてとことん向き合った末に、一つの真実に辿り着いた」となり、その一つの真実こそが五蘊皆空なのです。
五蘊皆空と概要
人間界の現象や存在はすべて実体がなく、空であるということ。
辞書では上記のように言っています。
あまりにも端的ですね。なので、五蘊皆空を分解して、それぞれを見ていきましょう。
五蘊皆空と五蘊
五蘊とは人間を成り立たせている色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称です。
肉体面(色蘊)と精神面(受・想・行・識の四蘊)にわけられます。
五蘊と色蘊
物質全般を意味しますが、特に肉体を指します。
五蘊と受蘊
感受作用。物事を見る、外界からの刺激を受ける心の機能のこと。
五蘊と想蘊
認知。事物の姿形をイメージする心の機能のこと。
五蘊と行蘊
意志。イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す心の機能のこと。
五蘊と識蘊
知性。外的作用(受蘊と想蘊)と内的作用(行蘊)を総合して状況判断を下す心の機能のこと。
五蘊皆空と仮和合
生きとし生ける者の心身は五蘊が因縁によって仮に和合して成り立っているものであると言います。これを五蘊仮和合と言います。
五蘊皆空と無我
生きとし生ける者は五蘊の仮の集まりに過ぎないので、実体として執着すべき独立の我は存在しない、つまり無我であると説きます。この無我を般若思想では「空」と表現したのです。
五蘊皆空と度一切苦厄
般若心経では五蘊皆空、つまり肉体も精神作用も全て実体がなく空であるとし、その事実は観音菩薩を驚かせました。しかし、驚愕と同時に苦悩から解き放たれるような安らぎを覚えたと言います。
最後に
重複しますが、一切皆苦は「人間界の現象や存在はすべて実体がなく、空であるということ」という意味です。
これは無我の教えであり、仏教が掲げる三つのスローガンである三法印の一つ”諸法無我”と同義です。
仏教の考えの一貫性が伺えますね。
輪廻について調べてみた
仏教における最高の理想は輪廻からの解脱です。
では、輪廻とは一体何なのでしょうか?
それを知るには、仏教の世界観を知る必要があります。
輪廻と概要
輪廻とは、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わることです。
仏教では輪廻を苦と捉えます。
輪廻と六道
生きとし生ける者は生前の業(振る舞い)により、6種の世界のいずれかに転生します。この6種の世界を六道と言います。
天道、人間道、修羅道を三善趣といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣と言います。
六道と天道
天道は天人が住まう世界。
天人は人間よりも優れた存在であり、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされています。しかし煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ません。
天道のうち、未だ欲望に問わられる6つの天界を六浴天と言います(上から他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天、忉利天、四大王衆天)。
六道と人間道
人間道は人間が住む世界。
四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあります。
唯一自力で仏教に出会える世界で、解脱し仏になりうるという救いもあります。
六道と修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界。
修羅は戦闘 をこととする鬼類で、終始戦い、争うとされています。
苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界です。
六道と畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界。
ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされています。
六道と餓鬼道
餓鬼道は餓鬼の世界。
餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされます。
六道と地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界。
地下の世界とされています。
輪廻と業
先述したように、どの世界に転生するのかは生前の業によって決まります。
業は人間の行為、つまり振る舞いです。ただ、仏教では「身体で何かをすること」の他に、「口で喋ること」や「心で何か思うこと」も行為とみなされ、業とします。
この業の中でも十悪業と呼ばれる禁忌を犯した者が、三悪趣に転生することになります。
十悪業
- 殺生・・・生きものの生命を奪う。
- 偸盗・・・与えられていない他人の財物を取ること。盗み。
- 邪婬・・・よこしまな男女の交わり。
- 妄語・・・嘘をつく。でたらめを言う。
- 綺語・・・無意味、無益なことを言う。
- 悪口・・・他人を傷つける言葉。陰口、中傷。
- 両舌・・・他人の仲を裂く言葉。
- 慳貪・・・財物などをむさぼり求める。異常な欲。
- 瞋恚・・・いかり憎む。
- 邪見・・・誤った見解。
輪廻と三界
三界とは、衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界をその三つに分けたもで、欲界・色界・無色界の三つがあります。六道はこのうち欲界にあると言われています。
三界と欲界
欲望にとらわれた淫欲や食欲がある衆生が住む世界。また、本能的欲望が盛んで強力な世界。
三界では最下層に位置します。
地獄から六欲天までの領域であり、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の6種の世界が欲界に含まれます。
三界と色界
欲望は超越したが、物質や肉体の束縛からは脱却していない世界。
欲界の上、無色界の下に位置します。
四禅(初期仏教で説かれる禅定の4段階のこと)を修めた者が死後に生まれる世界ともされています。
三界と無色界
物質的なものから完全に離れた衆生が住む世界。
欲望も物質的条件も超越し、精神的条件のみを有する生物が住む境域です。
天界の最上層に位置します。
無色界は非想非非想処、無所有処、識無辺処、空無辺処の四天に分けられます。
最後に
いかがだったでしょうか?
生前の所業(というより悪行)によって転生する先は決まります。なので、良いところに転生したくば良い行いをしなければなりません。
加えて、仏教に出会えるのは人間道だけです。なので、次人間道に転生する保証はないので、今のうちに仏教を修めるのが吉と言いたいのでしょう。そんな気がします。