お盆について調べてみた
8月13日から世間ではお盆です。
日本人は「盆と正月が一緒に来たよう」という慣用句のように、お盆と正月を大変重要視しています。
そのお盆について、皆さまはどのくらい知っていますか?
お盆と概要
お盆とは、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。
日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事です。
お盆と由来
盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。
盂蘭盆会
盂蘭盆会とは、母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事のことです。
盂蘭盆経、報恩奉盆経などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来します。
お盆と起源
盆の明確な起源は分かっていません。
1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事がありましたが、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったと言われています。
日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行う風習が確立されたと考えられています。
お盆と風習
盆の概念は日本全国に広まっているため、その行事の内容や風習は地方それぞれに様々な様式があります。
お盆と釜蓋朔日
1日を釜蓋朔日と言い、地獄の釜の蓋が開く日とされています。
この日を境に墓参などして、ご先祖様等をお迎えし始めます。
地域によっては山や川から里へ通じる道の草刈りをします。これは故人の霊が山や川に居るという信仰に則り、その彼岸から家に帰る故人が通りやすいように行います。
また、地域によっては言い伝えで「地獄の釜の開く時期は、池や川、海などへ無暗に近づいたり、入ったりしてはならない」というものもあります。
お盆と七夕
7日は七夕です。
そもそも七夕は「棚幡」とも書き、故人を迎える精霊棚とその棚に安置する幡を拵える日でした。その行為を7日の夕方から勤めたために棚幡がいつしか七夕に転じたという説があります。
7日の夕刻から精霊棚や笹、幡などを安置します。
なお、お盆期間中、僧侶に読経してもらい報恩することを棚経参りと言います。
お盆と迎え火
客人や神霊をむかえるためにたく火のことを迎え火と言います。
1日から7日にやる地方もありますが、一般的には7月13日または8月13日の夕刻に行います。
以前からありましたが、年中行事として定着したのは江戸時代と言われています。
また迎え火の変形として盆提灯があります。
お盆と送り火
お盆に帰ってきた死者の魂を現世からふたたびあの世へと送り出す行事です。
16日の野火を送り火と呼びます。京都の五山送り火が有名ですね。
15日に送り火を行うところも多です(奈良高円山大文字など)。
家庭の玄関先や庭で行われるものから、地域社会の行事として行われるものまで、さまざまな規模で行われています。
また山の送り火と海の送り火があります。山の送り火としては、京都の五山送り火・奈良の高円山大文字送り火などが有名ですね。海の送り火としては、「灯籠流し」が全国的に行われています。
お盆と盆踊り
15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内などに老若男女が集まって踊る盆踊りがあります。
これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれます。
平安時代、空也上人によって始められた踊念仏が、民間習俗と習合して念仏踊りとなり、盂蘭盆会の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事として定着していったと言われています。
お盆と精霊馬
地方や宗派によっては、お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意することがあります。
4本の麻幹あるいはマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配します。
きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められています。
お盆と施餓鬼
地方によっては「施餓鬼」と呼ばれる、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作って道ばたに倒れた人の霊を慰めたりするといった風習もこの頃に行われます。
お盆と初盆
人が亡くなり49日法要が終わってから次に迎える最初のお盆を特に初盆または新盆と呼び、特に厚く供養する風習があります。
最後に
いかがだったでしょうか?
餓鬼道に墜ちた人々を供養する行事が祖霊信仰と融合し、独自のお盆が出来上がったと考えられています。様々なモノに神を見出し、他の宗教にも寛容な日本ならではの行事ですね。
お盆は故人が彼岸から此岸に帰ってきます。
普段手を合わせられない分、しっかりと手を合わせたいと思います。