天台宗について調べてみた
歴史の授業で真言宗の空海とセットで覚えさせられる人物がいます。
天台宗と概要
入唐した最澄によって平安時代初期に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開しました。
天台宗と起源
伝教大師最澄が804年から805年にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けました。そして同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりと言われています。
天台宗と密教
最澄は、当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰りました。しかし、最澄が帰国して一年後に空海が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとした。しかし、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別しました。
これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップしました。
その後、円仁・円珍などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献しました。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれます。
真言密教と天台密教の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊を久遠実成の釈迦如来としている点です。
天台宗と四宗兼学
座禅や戒律(梵網経による授戒)、念仏、密教の要素を含んでいることから、四宗兼学の道場とも言われています。
天台宗と止観行
天台智顗は、悟りを開くための修行を「禅」とは呼ばずに「止観」と呼び、日常生活こそが止観の実践の場と説きました。
止観の修行法は4つに分けられており、これを四種三昧と呼びます。
- 常坐三昧=静かなところで座禅を続ける修行
- 常行三枚=阿弥陀仏の念仏を称え、心に阿弥陀仏の姿を思い描く修行
- 半行半坐三昧=法華経を読みながら五体投地をする
- 非行非坐三昧=毎日の生活そのものを修行とするもの
天台宗と千日回峰行
これは比叡山の険しい山内を7年に分けて1000日巡拝するもので、その間には9日間の断食・断水・断眠・断臥の四無行が行われる堂入りもします。
天台宗と所依
最後に
教科書では真言宗の空海とセットにして覚えられる真言宗・最澄。しかし、歴史では彼らはケンカ別れをする仲でした。
実は仏教はケンカ別れが多く、天台宗でも円仁派と円珍派が解釈の違いによって対立し、なんと円仁派が円珍派の坊舎を焼き払うなんて事件もありました。
もしかしたら宗派の歴史は戦いの歴史なのかもしれません。