仏教における苦について調べてみた
昨日の記事で一切皆苦について触れました。他にも、仏教の初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれいます。
そう、仏教にとって”苦”は大きな議題なのです。
そんな苦について調べてみました。
苦と常楽我浄
釈迦が出家した時、衆生の多くは人間世界のこの世が、以下のものであるとみなしていました。
無常であるのに常と見て、
苦に満ちているのに楽と考え、
人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、
不浄なものを浄らかだ
これを四顛倒と言います。
釈迦は悟りを開いた直後にまずこの四顛倒をただし、この世は無常・苦・無我・不浄であると説きました(これが諸行無常・一切皆苦・諸法無我の基となっている)。
しかし入滅に際して、以下を説きました。
- 常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
- 楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
- 我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
- 浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である
これが常楽我浄と言います。
苦と四諦
四諦とは苦しみに関する四つの真理です。
苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つを指します。
苦諦
迷いのこの世は一切が苦であるという真理。
仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされます。
また、人生における根本的な以下の苦を四苦と説きます。
- 生苦 - 生まれること
- 老苦 - 老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる
- 病苦 - 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる
- 死苦 -死ぬことへの恐怖、その先の不安
四苦に更に四つの苦を併せて八苦と言います。
集諦
欲望の尽きないことが苦を生起させているという真理。転じて「苦には原因がある」という真理。
釈尊は、すべての苦の原因は渇愛や貪欲であると説きました(渇愛とは色々な欲望の満足を求めてやまないこと、「貪欲」とは無制限にものごとをむさぼり求めること)。
滅諦
滅諦とは渇愛や貪欲のような欲望のなくなった状態が苦滅の理想の境地であるという真理。
修行者の理想のあり方としています。
道諦
苦滅にいたるためには、七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程である八正道によらなければならないという真理。
これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道であると説きます。
苦と八正道
三十七道品とは大般涅槃経、漢訳の中阿含経などに説かれた、仏教において悟りに至るための三十七の修行法のことです。中でも正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8項目が涅槃に至るための八正道とされています。
katamo ca bhikkhave, ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, seyyathīdaṃ: sammādiṭṭhi sammāsaṅkappo sammāvācā sammākammanto sammāājīvo sammāvāyāmo sammāsati sammāsamādhi.
比丘たちよ、聖なる八正道とは何か。
それはすなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
出典:相応部, パーリ仏典
八正道は釈迦が最初の説法において説いたとされています。
正見
物事を正しく見ること。
特に四諦の真理などを正しく知ることであり、正見は「四諦の智」ともいわれます。
正思
正見によって、正しく考えること。
感情に左右されることなく、正しい意識で判断し、心の行いを正しくすることです。
正語
正しい言葉を語ること。
妄語(嘘)や無駄話や陰口・仲違いさせる言葉、誹謗中傷、粗暴な言葉を使わないことです。
正業
正しい行いをすること。
殺生を離れ、盗みを離れ、非梵行(性行為)を離れること。
正命
正しくて健全な生活を送ること。
殺生などに基づく道徳に反する職業や仕事はせず、正当な手段で衣・食・住の糧を得ることです。
正精進
「すでに起こった不善を断ずる」「未来に起こる不善を生こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することです。
正念
四念処に注意を向けて、常に正しい意識を持つこと。
四念処とは仏教における悟りのための4種の観想法の総称で、内容は以下の通りです。
- 身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
- 受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
- 心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
- 法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)
正定
正しい瞑想を行なうこと。
定とは精神集中する瞑想のことで、禅定のことを指します。
この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られると言います。
苦と二苦
精神的な苦と肉体的な苦は、人間自身の内的な苦であることから内苦と言います。
対して、他人から迫害されたり、自然の力によって悩まされたりする風雨寒熱などの苦を外苦と言います。
苦と三苦
生存している者の三つの苦悩を三苦と言います。
- 苦苦・・・好ましくないものから受ける苦。精神的肉体的苦。
- 壊苦・・・愛着していたものがくずれるとき感ずる苦。
- 行苦・・・この世が流転して無常であることを見て生じる苦。
最後に
釈迦はこの世は苦であると説きました。なんと厭世的でしょうか。しかし、どの苦も思い当たるあり、それゆえに真理を説いていることを痛感します。
また、釈迦はこの苦を嘆くのではなく、立ち向かっていくよう説いています。立ち向かっていく術まで教えてくれているのですから有難い。
このような人生観は非常に勉強になりますね。