林檎とフクロウ

故きを温ねて新しきを知る――哲学や宗教学などの人文科学を読み解き、生きる道を見出すことを目的としたブログです。

人文科学について調べてみた

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自然科学と人文科学

世の中には様々な学問があります。物理学、化学、生物学、哲学、宗教学、民族学など、挙げ始めたらキリがありません。そんな学問ですが、実は、大きくわけて二つに分類されます。

自然科学と人文科学です。

自然科学は自然における観測可能な対象やプロセスを研究します。一方で人文科学は”人間”と”文化”を研究します。

 

人文学はhumanitasから来ているが、これはもともと「公的な奉仕を積極的に行うような生き方にかなった徳目をそなえた教養のある良き市民になるための学問」を意味している。

 

出典:社会における諸課題に対する人文学・社会科学の応答について(日本学術振興会学術システム研究センター)

 

人文科学と分野

一般的には以下の学問が人文科学に分類されます。

どれも人が築き上げた文化・知恵ですよね。

 

人文科学と必要性

2015年6月に文部科学省が以下のような通達をしました。

「ミッションの再定義」を踏まえた組織の見直し

 

「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。
特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

 

出典:国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(平成27年6月8日文部科学大臣通知)

暗に人文科学は社会的要請の高い分野とは言えないと述べています。

自然科学は人々にとって役に立つ分野です。化学分野の研究が進めば地球環境問題は解決しますし、臨床工学の研究が進めば人は更に寿命を延ばします。自然科学はテクノロジーや産業に対して大きく貢献していると断言できます。

一方で人文科学はどうでしょうか?

私は即答できませんでした。 

 

人文科学と価値

大阪大学文学部長で、大学院文学研究科長も務める金水敏氏は2017年3月の文学部・文学研究科の卒業・修了セレモニーの式辞でこう述べました。

「しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」

「今のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます」

「恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です」

「その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」

「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」

 

引用:文学部って何の役に立つの? 阪大学部長の式辞が話題に 思いを聞く

 

合理性だけを追求する世界ならば、自然科学だけで良いでしょう。しかし、価値観や倫理観が問われ、心の豊かさが必要不可欠な人間社会で生きるには、人文科学は必要不可欠でしょう。

 

人文科学と私

私は高校で理系を選択してから、ずっと自然科学の世界に身を置いてきました。社会人になってからも、臨床工学技士として医学と工学の研究をしていました。

しかし、うつ病により足を止めてふと人生と言うモノを考えてみた時、数学も医学も工学も、私が求める答えは持ち合わせていませんでした。人生について常に考えているのは哲学や宗教学と言った人文科学に属する学問ばかりでした。

私は人文科学について学んできませんでした。だからこそ、人生の岐路に立った今だからこそ、しっかり勉強していきたいと思います。

真剣に人生を歩むために。